3月28日のエントリー「魔女狩りの末にひっそりと卒業した2人の次世代エース」が思った以上に反応があり、少し驚きました。こんな塩対応ですから、コメントなんてめったに入らないのですが。
週刊文春というゴシップ週刊誌があります。最近では、「文春砲」と呼ばれるスクープ記事が話題ですよね。
いわゆる、センテンス・スプリングです。
最近では、タレントのベッキーとゲスの極み乙女。のボーカル川谷絵音の不倫騒動がありました。任期途中で都知事を辞任した舛添要一氏の週末に庁有車を使った湯河原温泉別荘通いも、文春のスクープです。過去にさかのぼれば、指原莉乃さんの研究生時代の写真を「売られた」記事は、彼女がHKT48へと移籍するきっかけとなったことで有名ですよね。
記事にされたタレントや政治家が、そのえじきになって、表舞台から消えたり、何らかの社会的制裁を受けることが多い。これぞ、「文春砲」が「砲」であるゆえんでもあります。
では、文春は、正義なのでしょうか。
文春に書いてあることは、真実だと思っている人もいるようです。
文芸春秋の敗訴確定 本社巡る記事、最高裁が上告退ける(日本経済新聞)
「橋下氏が性的接待」の文春記事、「真実と認められない」と大阪地裁 文芸春秋に賠償命令 (産経ニュース)
まあまあ、裁判で負けてるんですけどね。
「文春砲」誤爆の将棋ソフト疑惑――後味悪かった谷川会長辞任 | 週刊金曜日ニュース
誤爆もしてます。これ、なんだったんでしょうね。
なんとなーく、ちゃんと取材して事実を書いているような印象操作が行われているのは、いったい何が原因なのでしょうか。
確かに、ネットニュースのサイゾー系メディアに比べたら、はるかに信憑性は高いです。ちゃんと取材しています。
舛添都知事は、政治資金で温泉旅館に泊まっていました。庁有車で湯河原の別荘に通っていました。昼間は、仕事もしないで美術館通いに興じていました。
ひでえ都知事です。でも、法的には誰も裁いていません。いや、むしろ、政治資金を似たようなずさんな使い方をしている政治家は、他にもいます。
たまたま、文春砲のえじきになっただけです。
本来、彼は民意が裁くべきだったのです。具体的に言えば、選挙で落とすべきだったのです。
ベッキーの件はどうでしょうか。テレビから消える必要があったのでしょうか。男の側は、この段階ではほぼ無傷でした。相変わらずコンサートで歌っていました。
(川谷氏が活動を自粛したのは、ベッキーとの不倫騒動の後、未成年の交際相手と飲酒していたためです)
嫌いになれば、それで良かったのではないでしょうか。ベッキーがテレビに出てきて謝罪する必要など、なぜあったんでしょうか。あれは、いったい誰に謝っていたんでしょうか。
少なくとも、オイラはベッキーが不倫したことで被った被害は何もありませんが。
自分の彼女が浮気したら、そりゃ、被害になりますけどね。
文春砲=誰かが社会的にフェイドアウト
この社会の反応の仕方って、すごい危ういと思います。特に、ネットにSNSが普及してから、この傾向は強くなりました。文春に限らず、誰かが「悪人」を見つけると、執拗に責め立て、炎上させ、謝らせ、社会的にフェイドアウトさせる。
冷静になったとき、なんでこの人、謝罪会見してんだろうって思ったことないですか。
文春は、そういう人間の「正義感」を巧みに利用し、媒体を拡大させるためのごちそうにしています。文春にとって悪意は最大のごちそうなのです。
乙武洋匡氏がジャーナリズム賞に皮肉 「世界に誇れるね」(ライブドアニュース)
雑誌ジャーナリズム賞は、ベッキー・川谷の不倫スクープなんだそうです。
呆れちゃいませんか。
他人のプライバシーを暴くことが、ジャーナリズムなんだそうです。
日本のジャーナリズムの程度の低さが分かります。
で。
話をAKB48に戻しましょう。
昨年公開されたドキュメンタリー映画『存在する理由 DOCUMENTARY of AKB48』を観ましたか。
くそつまらなかったですよね。
その、くそつまらない中身については、置いておいて。
石原真監督は、この映画の中で、週刊文春を発行している文藝春秋を訪れ、AKB48を担当しているスズキ記者に会っています。
石原「17、8、9の小娘の恋愛を書くって、別にそんなに社会的に重要なものかどうかという部分はどうですか」
スズキ「そこはやってて、いつも考えるところではあります。でも、どこもやらないんだったら、やります」
石原監督はなぜ、スズキ記者にそんな質問をしたのでしょうか。
質問する相手を間違えてはいないでしょうか。
そもそも、「別にそんなに社会的に重要なものかどうか」という程度の幼い少女たちの恋愛を根拠にして、あっさりとグループから追放していたのは、AKB48の運営側ではないですか。それを、お涙ちょうだい物語にして、ドキュメンタリー映画として売っていたのは、AKB48の運営側ではないですか。
週刊文春ではありませんよ。
石原監督の質問は、ブーメランのように石原監督に返ってきています。
今、まさにドキュメンタリー映画を制作しているあなたは、いったい「恋愛禁止」という、あるような、ないような掟を、どう捉えているのですか。
看板を掲げている(いや、もう掲げていないかもしれないけど)「恋愛禁止」を、AKB48本体はどう受け止めているのですか。
その前提がないのに、文春の記者に「なんでそんなの追っかけてんの?」って質問するのは、滑稽です。記者は、〝恋愛禁止のくせにこっそり恋愛しているアイドル〟が面白いから、記事にするのです。とても、簡単な答えじゃないですか。
映画で記者さんは、そうは答えなかったですけどね。
石原監督がインタビューすべきだったのは、彼女たちを首を切った人たちなのではないですか。なんで、少女の純粋な恋心は、受け入れられないんですか?
AKB48は、いつまで「恋愛禁止」の看板を放置しておくのですか。いったい、何人のアイドルが文春の毒牙にかかったら、その看板を外すのですか。いや、看板は外したというなら、なぜ、アイドルは相変わらず文春に追い掛けられ、ファンから辞めろ、解雇しろと叩かれるのですか。
いったい、いつまで10代の夢を抱いた少女たちの人生を弄ぶつもりですか?
そして、
恋愛スキャンダル=存在の否定
そういう極端な方程式を、最初に作り出したのは、文春ではありません。AKB48の運営側です。
そして、運営のみならず、ファンも、そういう土俵に乗っかって、報道の対象となったアイドルを責め立て、追い詰め、いじめているのです。
しかも、文春の記事の多くは、本当に恋愛だったかどうかも、定かではありません。
そこは、誰も証明されていません。
さっしーのスキャンダルは確かに、恋愛というレベルなのでしょう。でも、現在進行形ではない上に、文春の記者が汗をかいて撮った写真ではありませんでした。
恋愛もあったかもしれません。たまたま、一緒にいたのかもしれません。
ファンたちが言う「恋愛禁止」とは、要は「文春に撮られない」ことです。それが恋愛かどうかは、関係ないのです。
AKB48にとって、最大のリスクであり、最大の敵は、ファンです。文春報道を頑なに信じ、恋愛禁止の掟を頑なにメンバーに強要し、スキャンダルの標的となったメンバーを執拗に責め立て、グループから追い出すまで許さない。
以前にも書きましたよね。
オイラは、AKB48が嫌いです。
でも、そこにいるメンバーが大好きです。
村重は、高校の同級生のように愛おしくて大切です。さっしーは、我が家の長女のようにお姉さんとして頼りにしています。谷真理佳は、うるさい妹のように可愛いです。
秋元康さんの手掛ける歌は、初恋のほろ苦さを思い起こすような歌や、コンサートでコールしているだけで元気になる歌や、なぜかホロッと泣けてしまう歌、いい曲がたくさんあります。
だから、応援します。
でも、オイラはどんな理由があろうとも、メンバーの存在を否定するような言葉を、誰に対しても投げ掛けません。嫌になれば、自分から去ります。
ゴシップ雑誌の報道被害に遭ったメンバーを、崖から落とすような真似はしません。一緒に怒り、一緒に泣き、一緒に前に進みます。
6月の写メ会、1枚だけ西野未姫の券を獲っていました。あの「文春砲」があってから、一度、会いに行こうと思っていたのです。残念ながら、声を掛けることなく、彼女は卒業してしまいました。
幸せになってほしい。
自由に生きてほしい。
あなたの「存在する理由」を否定する人は、もういませんから。