-nihombashi

2013年5月27日撮影。

1957年、1964年の東京五輪開催が決まると上空に道路ができることになり、こうなると未来都市のようになるから当時の人々が大歓迎したとのことだが、それは大いに禍根を残した。

高層建築も問題だ。高層建築は高層階居住で外気に直接触れる機会が減少し、高所への恐怖感が乏しくなりがちになる可能性もあり、子供の発育への影響、気圧が地上と異なることによる子供だけでなく大人にも健康への影響も考えられ、老朽化と維持費の増大を待って順次削減をしないといけないのに、既存住宅地だけでなく各地に建てられ、先進国との比較では日本は景観を無視した政策を取り過ぎで、住環境や景観を壊しており、ある一角だけで普通の街に相応しくなく、実際の海溝型巨大地震を経験した超高層建築が無いため経験的予測ができず、固有振動の周期は低層の建物に比べ長いので地震動の周期の長い海溝型巨大地震の地震動との共振の可能性が指摘されるようになり、海溝型巨大地震の長周期地震動との共振に備えて家具の固定が推奨され、地震でエレベーターが停止すると上階の住人が移動手段を失い、高層難民発生も懸念される。

まだまだ高層建築は増えるが、市川市の高谷、二俣、原木など、ほかに発展させないといけない地域がいくつかある。

1911年、日本橋が木橋から石橋に架け替えられた。

日本橋は江戸時代から今に至るまで日本の道路交通の中心。橋の中央に国道の起点となる「日本国道路元標」がある。

都市景観の問題や行政の問題対応能力と絡めてソウルの清渓高架道路撤去計画と対比されることもある。

近くに高島屋や三越といった百貨店もあり、かつては東急百貨店もあり、都電も日本橋を走っていた。

今の日本橋は第19代目で、1999年5月13日に国の重要文化財に指定されたが、首都高に覆われてしまっているため都市景観の在り方を含め様々な方面から意見が交わされた。

2006年に有識者会議である「日本橋川に空を取り戻す会」が首都高を地下に移して周辺を親水公園などにする構想をまとめ、当時の小泉純一郎首相もそれを後押しする発言をしたが、地下鉄などの地下構造物が非常に多いことから5000億円もかかるため当時、都知事に在任していた故石原慎太郎氏(石原良純さんなどのお父さん)が反対し、「日本橋の方を移転させるべし」と発言もしたが不可能。

日テレで2006-2007年に深夜に放送された「未来予報201x」では10数年後に実現するように紹介されたこともある(北海道新幹線札幌開業なども)。

計画の背景には首都高の高架橋が老朽化していたこともある。だから日本橋上空にかかる区間だけでも廃止論も出たが、「これでは残る道路の渋滞に拍車がかかる」と回答した。

今や上空に道路がなかった頃を知る人は大分減ってきたが、当時を知らない人でも道路が上空にない日本橋の復活が期待されている。

 

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