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2017年6月17日撮影。現存しているのは奇跡でもある。

JR東日本中央線国立駅から徒歩約20分。小田急系の立川バスでも行ける。

惜しむらくは車番の書体が若干違うこと。

撮影に障害物は避けられないが、上には風雨を凌ぐしっかりした屋根があり有り難く、多少の汚れはあるが目立った錆が見られなかった。

隅田川客貨車区に配置されていた。

自分はKATOのオユ10を持っている。2003年頃に買った。

同型車は、のと鉄能登中島駅(石川県七尾市中島町浜田)にもあり車内からも見える。

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車内へは守衛さんに見学を申し出てノートに住所と氏名を書くと敷地内へ入れてくれる。古い車両なので入るには気が引けたが、非常に有り難い。

車内にある棚の底面には傾きがある。これは走行中の揺れで郵便物の落下を防止するため。

更に、

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今は末永く残り続けることを願ってやまない。

また、兵庫県加古川市にある「キハ2」が2021年に修復されたようだが、上に屋根があり、4年に1度程度の塗装替えがあれば完璧。

愛知県名古屋市内だと名古屋市電3003が4年に1度程の塗装替えで屋外展示でも、手入れが行き届いていたため、最良の展示状態だったとのことで、参考になり、それも今は日進市内にある。

神奈川県川崎市多摩区の生田緑地中央広場に1971年からD51、スハ42が1985年からあり、両者とも数年に一度、防錆と塗装を実施し、両者とも生田緑地を訪れる皆様に愛され、親しまれるよう良好な保存状態の維持に努めていきたいと川崎市が考えているようで、2020年12月9日に市民生活や地域風土に根ざして継承されてきた文化財を新たに顕彰する「川崎市地域文化財」に決定したなら高く評価できる。

千葉県なら民有、公有を問わず、様々な車両があり、その由来や保管状況も様々と推察され、千葉県教育委員会は、小湊鐵道蒸気機関車3両、茂原庁南間人車軌道人車1両を指定文化財に指定し、小湊鐵道の駅舎など23件を国の登録有形文化財に登録などをして、県内の駅舎も貴重な交通遺跡として1998年に「千葉県の産業・交通遺跡」という報告書を刊行し、その歴史的価値を紹介しているという。

このように千葉県教育委員会では地域の歴史や文化を考える上で欠かせない文化財を市町村や文化財所有者と調整を図りながら保護しているというが、様々な文化財があり、その全ての保護は都道府県や市町村だけでは困難なのは事実でもある。

一概に金銭で語れないが、日本人には保存車にドイツ以上に文化財的な認識がなく、安易な解体は明確な目標を見失っていて、保存意欲が生まれず、必要なことや可能なことを最大限にしなかったことの象徴としか思えず、将来に禍根を残し、文化を消すのと全くの同義などという認識がなさすぎで、どれだけの人が何に思い入れがあるのか計算に入れておらず、本来なら共有財産で、相手が人間なら死体損壊で警察が逮捕する重罪で、埼玉県内では「西武博物館」開業が求められている程で、保存に詳しい人材の不足は悲劇で、解体に「馬鹿者、何考えているのだ」と言いたいし、自滅行為でもあり、責任の取りようなく、いくらこき下ろしても足りず、専門家の意見を聞かないのは頭悪すぎで、実物への敬意が全くなく、費用などは別として何らかの形で保存の方法はあったし、誤った認識が共有され、傍に知識や技術を知る人や高学歴の方々もいる筈なので如何様にもなったに違いない。

日本人は欧米以上に保存車や工業・機械遺産への理解がまだまだ低くて文化財的価値が認められず、どれだけの人が何に思い入れがあるかなどが計算にないなど、まだまだ恥ずかしい状態で、長野電鉄や上信電鉄(群馬県)、東武、西武、小田急、JR東日本などがまだまだ不十分。

2022年8月21日の産経新聞によれば、SLの放置や解体を減らすにはどんな手立てがあるかを笹田昌宏さんに聞くと「地元の人たちに、SLが後世に残す価値のあるものだと理解して貰う必要がある」と話し、更に展示方法にも問題があるとして「置いておくだけでなく、子供たちの社会教育、観光振興や地域おこしに役立てるなどの活用法を考えないといけない」と提言。

彼の意見に全くの同感。

今はロシアのウクライナ侵攻などの影響も心配になっているが、更に求められているのは、最新保存技術の最大限活用、不必要な投資をしないこと、可能な限り最大限に解体回避のための努力、各地に残されている車両が修復された上での保存と車両博物館を造ること、遊休資産とみなして課税対象にする税制もあり、産業遺産としての保存を積極的にさせたいなら無車籍車両へ税制見直しなど財務省がどうにかすること、保存できなくなったら必ず廃棄処分せずに早期に他者への譲渡、国が官民を問わず地域総がかりで文化財の保護に取り組むこと、地域の多くの人々の理解と参画、クラウドファンディング立ち上げ、錆止めにサビキラー使用などもある。

また、高校生の頃、担任の先生から学生時代に郵便車内でアルバイトをしていた思い出話を聞いたこともある。

近江鉄道(滋賀県)や小田急などでもかつて郵便輸送を行っており、車内で郵便仕分けも行われるなど、郵便車は「走る郵便局」だった。

郵便輸送は1971年をピークに飛行機や高速道の発達で需要を落として1984年1月末に取扱便が休止。国鉄では1986年9月限りで残されていた護送便と締め切り便も休止し郵政省が所有していた鉄道郵便車は廃車。郵便輸送全廃で廃車となった郵便車の中には郵政省所有だったため転用できずクモユ143や一部のスユ15の様に製造から僅か4年程しか使われなかったものもあった。

同時期には荷物車を改造したクモハ123形が出現し、国鉄では郵政省からクモユ143を買おうとしても費用がかかるため断念したらしい。

2006年から埼玉県越谷市に有る新越谷郵便局(現郵便事業新越谷支店)が列車輸送の利便性を考え、越谷貨物ターミナル至近に開局し、その立地を生かして2007年以降は冊子小包などの大量差出の引受を担当したという。

 

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