醍醐寺 下醍醐の諸堂巡礼の続きです
醍醐寺の縁起をこの辺りでちょっと紹介…
真言宗醍醐派総本山寺院の醍醐寺は、深雪山 醍醐寺と号します
平安時代初期、貞観16年(874年)弘法大師空海の孫弟子にあたる理源大師聖宝が准胝観音と如意輪観音を笠取山山頂上に迎えて開山し、同山頂付近を醍醐山と命名しました
貞観18年(876年)聖宝により、准胝堂と如意輪堂が建立されました
醍醐寺は、醍醐山一帯(上醍醐)を中心に修験道の霊場として発展
後に醍醐天皇が自ら祈願所とすると共に手厚い庇護を与え、延喜7年(907年)に薬師堂を…延長4年(926年)に金堂が建立され、下醍醐が成立 発展しました
その後、応仁の乱などで下醍醐は荒廃
五重塔のみが残されるのみとなりました
安土桃山時代、豊臣秀吉による醍醐の花見🌸が決まると、秀吉によって三宝院が再興され伽藍も復興され始め、慶長3年(1598年)醍醐の花見🌸が盛大に開催されました
秀吉から秀頼の代になっても如意輪堂や開山堂など再建され、整備されて行きました
平成20年(2008年)落雷⚡による火災🔥で上醍醐の准胝堂が全焼🔥🔥
西国三十三所札所は現在、下醍醐の観音堂に移されています
御本尊 薬師如来
西国三十三所霊場11番札所
真言宗十八本山霊場12番札所
近畿三十六不動尊霊場23番札所
神仏霊場巡拝の道霊場126番札所
西国薬師四十九霊場札所39番札所
祖師堂の参道左手には神変大菩薩様のお像
祖師堂
慶長10年(1605年)義演准后により建立
弘法大師空海と孫弟子の理源大師聖宝像を安置
旧伝法学院(修行道場)
昭和5年(1930年)醍醐天皇一千年遠忌を記念して、山口玄洞居士の寄進により造築
日月門
旧伝法学院と同じく山口玄洞居士による寄進で造築
日月門の向拝?で良いのかしら…
鐘楼堂
観音堂(大講堂)
観音堂を中心に広がる林泉及び弁天堂 鐘楼堂 伝法学院等を総称して大伝法院と呼ばれています
昭和5年(1930年)醍醐天皇一千年遠忌を記念して、山口玄洞居士の寄進により造築されました
かつては大講堂と使用していましたが、平成20年(2008年)上醍醐の准胝堂が落雷⚡により焼失🔥してからは観音堂と呼ばれる様になりました
阿弥陀如来 大日如来 准胝観音を祀ります
観音堂は正面から入る事が出来ません
裏手から案内に従ってお堂に入ります
観音堂の真っ赤な幟旗
こちらからお堂に入ります
御朱印拝受もこちらから…
弁天堂が見えて来ました
美しき景色の弁天堂
いよいよ上醍醐へ〜