西国巡礼とライブ参戦…箕面市 勝尾寺その② | ふぅの想いのまま…心赴くまま…

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ちょっと間が空きました😅🙏

4月14日に詣でた西国三十三所の勝尾寺の続きです
前回の記事はこちら↓





不動堂



不動明王🔥がおりました〜




鐘楼堂




石碑や石塔




本堂

高野山真言宗寺院の勝尾寺は、応頂山 勝尾寺と号します

寺伝によると、神亀4年(727年)藤原致房の子 善仲・善算兄弟がこの地に草庵を築きました

天平神護元年(765年)光仁天皇の皇子の海成が2人に師事して仏門に入り、宝亀8年(777年) 大般若経600巻の書写を終えて、勝尾寺の前身である弥勒寺を創建しました

元慶4年(880年)清和天皇の病気平癒祈祷を行い勝王寺の寺号を賜りますが、王に勝つの寺号は恐れ多いとして、勝尾寺に差し控えたと言います

元暦元年(1184年)源平合戦 一ノ谷の戦いで全山が焼失🔥してしまいますが、源頼朝の命により、熊谷直実 梶原景時により再建されました

慶長8年(1603年)豊臣秀頼によって山門が再建、本堂再建の為の浄財も寄進されました
江戸時代 延宝2年(1674年)高野山の釈迦文院の末寺となり、天台宗から真言宗に改宗されました

御本尊  十一面観世音菩薩
西国三十三所霊場23番札所
法然上人二十五霊場6番札所
摂津国三十三箇所霊場22番札所
神仏霊場巡拝の道65番札所



本堂扁額








なんのお社だろう🤔
特に扁額や案内板は有りませんでした




二階堂  4代座主 証如上人により建立
承元2年(1208年)〜承元4年(1210年)讃岐国に流罪から戻った法然上人が当寺に滞在
法然上人二十五霊場の札所となっています



二階堂扁額



堂内



標高も高そうで、山岳に囲まれた場所です





本当に至る所に達磨みくじが奉納されています
風や台風🌀で吹き飛ばされないのかしら!?😅








大師堂



大師堂の左側には四国八十八ヶ所霊場のお砂場踏みになっています
私も、ふみふみして来ました




水掛け観音





開山堂




鎮守堂
諏訪明神  八幡神  蔵王権現が祀られています
開山堂も鎮守堂も格子には達磨みくじ🤣
ディスプレイ棚の様になってます〜




三宝荒神社
日本で最古の荒神社の様です







帰り道は境内のお花を愛でながら…🌸🌺🪻














私は達磨みくじを連れて帰って来ました
😁




息子と婿殿にお土産で開運だるま守りを買って来ましたが、息子は要らないって言うから、私が貰いました😩
👀が飛び出して、上からは十一面観世音菩薩が見えるそう…
ばぁばの視力では良く分りません😂




西国三十三所の御朱印




法然上人二十五霊場の御朱印
法然上人二十五霊場は、関西圏の札所ばかりなので散々悩みましたが、発願してしまいましたよ😂


薬師堂や閻魔堂、奥の院が有りますが、境内案内図には掲載されてなくて、立入禁止になっていました

奥の院には海成皇子の墓所があり、勝尾寺の前身の弥勒寺が建立されていた地と言われています
ハイキングコースを通れば、奥の院や薬師堂近くに辿り着ける様ですが、私には再訪は無理でしょう…

予定してた行きのバスに乗れないと言うアクシデントに遭遇…😱😱😱
30分後のバスには乗れましたが、土日でも6往復?程度のバス便

勿論、帰りに予定してたバスにも乗れずに次のバスにしましたが、あの人数が同じタイミングで乗ると思うとゾッとします😱😥
早めにバス停に向かい正解でしたが、タイムスケジュールと1時間半も遅れが生じてしまいました😭

取り敢えず、四天王寺に向かって見ます