神奈川県東海道宿場町を訪ねて…保土ケ谷宿その③ | ふぅの想いのまま…心赴くまま…

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東海道宿場町 保土ケ谷宿の続きです


保土ケ谷駅からほど近い大仙寺から松並木へ〜




保土ケ谷宿の松並木
平成19年に復元されたもの



保土ケ谷宿の松並木の案内板



東海道分間延絵図(1800年頃のもの)



松並木は奈良時代からあったそうですが本格的に松並木が整備されたのは江戸時代 徳川家康が東海道を整備した頃と言われています

樹木を植える目的は地盤を固める、暴風防雪 津波の自然災害を防ぐ、街道の景観がありました

保土ケ谷宿の松並木は、この辺りから境木までの3キロに渡り続いていました
昭和の初期までは良好な状態で残されていましたが、次第に姿を消して行きました

平成19年に復元事業が行われ、一里塚や上方見附も復元されました







上方見附と案内板



一里塚





権太坂に向かう途中には空地にコスモスが、た〜くさん🌸







保土ケ谷宿案内板
旧東海道と国道の東海道の分かれ目です




堅牢地神塔







さぁ、権太坂を上ります



箱根駅伝で有名な権太坂は後から出来た国道で、権太坂の本家はこちらです

当寺の権太坂は今より勾配がきつく、日本橋から歩いて最初の難所でしたし、民家は無かったそうです

本家の権太坂も整備でかなり道幅が狭くなってしまったそうです



権太坂の石碑




権太坂の案内板↑↓



国道の権太坂は緩やかな傾斜だけど、旧東海道の権太坂は長く結構な傾斜だけど江戸時代はもっと傾斜がキツかった…


荷を運ぶのはそれこそ難儀だったのでは!?と思ったけど、埋立もないから船荷だったかな…


本家の権太坂を歩いたのは初めて〜


保土ケ谷は兎に角、急坂が多くて中学校に通うのに大変だった事を思い出しました