中町商店街からの
安積国造神社ヘの表参道
この表参道の奥の
緑の木々が見えてる処に
神社の本殿があります
現在は
国道4号線で
参道が寸断されてます
( 神社の参道 )
巫女の方々が
落ち葉の掃除をしてました
郡山の総鎮守・安積発祥の宮
『 安積国造神社 』
1683年(天和3年)
清水台の鎮座地に奉還され
八幡宮・稲荷大明神として崇拝される
( 御由緒 )
神社の本殿です
『 信州 高遠すかし灯篭 』
本殿の左側に
信州の高遠から奉納された灯篭があります
明和七年(1770年)
『 安積山 かたびらほして 通りけり 』
松尾芭蕉
郡山の安積に
来訪して330年の記念碑です
安積の郡山宿でも
芭蕉は一句詠んでたんですね
※かたびら(帷子)とは
夏の麻の裏地の無い着物だそうです
白河ー鏡石ー須賀川(泊)ー守山・泰平寺(現田村神社)
ー金屋村ー日出山宿ー郡山宿(泊)ー浅香山(片平町?)
ー二本松の黒塚ー福島の文知摺石
-福島・飯坂の医王寺
白河の関を詠んだ句
『 卯の花を かざして関の 晴れ着かな 』
白河の関ではなく
奥州街道沿いの
下野(栃木)の那須町と
陸奥(福島)の白河・白坂明神の県境にある
『境の明神』(白河の関?)と私的に思ってます
鏡石の鏡沼で詠んだ句
『 風流の 初めや奥の 田植歌 』
須賀川・可伸庵で詠んだ句
『 世の人の 見付けぬ花や 軒の栗 』
須賀川の乙字ヶ滝で詠んだ句
『 五月雨の 滝降りうずむ 水かさ哉 』
郡山宿の斎藤家で詠んだ句
『 安積山 かたびらほして 通りけり 』
『 旅寝して 我が句を知れや 秋の風 』
( ※ 画像お借り致しました )
福島・文知摺観音の文知摺石で詠んだ句
『 早苗とる 手もとや昔の しのぶ摺 』
福島・飯坂の医王寺で詠んだ句
『 笈も太刀も さつきにかざれ 紙のぼり 』
須賀川から
真っすぐ北上しないで
わざわざ迂回して郡山宿へ
郡山宿の斎藤家で一泊
宿の斎藤家は
ムサカリシと日記に一言、記してます
( ムサカリシ⇒汚い )
宮司・安藤親重覚書(天保2年・1831年)
( 安積で詠んだ芭蕉の句 )
が記されていました
境内の手前の参道左側に
建立されてます
( 記念碑の案内板 )
『 忠信にして欺かざるは是終身の要
理に循ひて
私無きは乃ち事を処するの本なり 』
安積良斎
幕府儒学者・安積良斎先生
没後160年記念碑
( 安積良斎先生銅像 )
幕府直轄の昌平坂学問所の教授を務めた大学者
門人には
小栗上野介・吉田松陰・高杉晋作
岩崎弥太郎・秋月悌次郎など
近代日本の建設に功あった人々が
名を連ねてます
良斎は
この神社の第五十五代宮司・
安藤親重の三男としてこの地で生まれました
( 安積良斎先生の書 )
実証主義歴史学の祖・重野安継は
文名有る者として
東の安積良斎 西の斎藤拙堂
二人を挙げました
( 宋元明鑑紀奉使抄・吉田松陰著 )
安積良斎門人帳(福島県重要文化財)
安積良斎の手紙発見
安積国造神社会館の4Fに
安積良斎記念館があります
訪問した時は
3Fで
総鎮守安積国造神社の
宝刀の披露が行われてました
※拝観料が掛かる様でした
社務所の受付でお願いすると
無料で見学が出来ます
今は出来ませんが
昔
ここの神社会館で
結婚式を挙げました
その当時は
2階が控室で
3階が披露宴の会場でした
資料館は4階なので
会館に入ってみると
中は
当時のままですが
建物自体
かなり古くなりました
『 郡山宿 』
👆昔の中町の商店街です
👇現在の中町中央商店街です
中町中央商店街の今昔です
『 安積国造神社之景 』
郡山の清水台にある
安積発祥之宮
郡山総鎮守
安積国造神社です
ここは
大儒学者
安積良斎(ごんさい)先生
生誕の地です
( 柏屋さんのごんさい豆 )
柏屋さんと云えば
薄皮饅頭ですが
この安積良斎先生にちなんで
ごんさい豆が
売られています
( 郡山駅前通りの柏屋本店 )
( 市役所手前の柏屋開成店 )
本店には
駐車場が無い為
車の時は
開成店か香久池店に
寄ることが多いです
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