タイトルに納得、読んで目を開かされる「一汁一菜でよいという提案」 | akikoの読書日記

akikoの読書日記

本好きな方へ

 著者の土井善晴に注目したのは食レポ番組での落ち着いたたたずまいを見てからだ。アシスタントのはしのえみを上から目線ではなく、1人の大人の女性として接している姿勢が好ましく、また物言いも柔らかいけれど的確で、うるさいだけあるいは知識ひけらかしだけの食レポとは一線を画しているのがさすがだなと感じた。そして、新聞広告で「一汁一菜でよいという提案」(新潮文庫)という本書のタイトル、そして帯の「ご飯と具だくさんの味噌汁。それでいい。」というキャッチを読んで、なるほどと深くうなずいてしまった。

 私の母は父が亡くなって億劫になると、スーパーで安い出来合いの総菜を買うようになった。その後同居を始めた私は、乾いたネタの乗った寿司や安い油で揚げた食後に胸やけするような揚げ物を食べるくらいなら、炊き立てのご飯に味噌汁、塩じゃけを焼いたほうが安いし美味しいと主張した。最初母は「買ってくればラクなのに」と言っていたが料理を私がするので何も言わなくなった。仕事で留守をするときはおむすびを握り、煮物と卵焼き、おひたしを作っておいた。味噌汁は火の元が心配でポットでお茶を入れてもらうことにしたのだが、私なりに「ごはんを主食に、作り置きがきくおかずがあれば栄養は足りる」と考えたのだ。出来合いの総菜は、保存料や添加物、塩分、脂質なども多いはずで、それよりご飯+素材を煮るか炒めるかしたものが体に良いし、普通に美味しいのだから。

 そして母も亡くなり一人暮らしになって、「ご飯と具だくさんの味噌汁。それでいい」という単行本の広告キャッチを読んで、疲れたときは冷蔵庫の野菜と冷凍庫にある豚肉あるいはつみれを入れた味噌汁にして、本当にそれだけの夕食にしたり、急いで出かける時は味噌汁の残りに餅を焼いて入れて食べたりしていた。

 それから数年、文庫本になったので満を持して購入。巻末の「文庫化にあたって」で著者は「中身は読まなくても、タイトルに全部表れている」と言われ「しまった」と思ったとか。私のような人が大勢いたのだろう。でも、読んで目を開かされることが本書にはたくさん書かれている。

 私は、味噌汁は出汁が重要だと思い込んでいて、なるべく夜お鍋に水を張って昆布を入れていた。本書では確かに出汁をとれば美味しくなるが、味噌汁の本質は水に味噌を溶くことだと説明している。美味しい出汁を取るのは料理屋の仕事で、家庭で料理屋の真似をすることはないという主張だ。料理屋の料理はハレの日(非日常)の料理で、家庭の料理はケの日(日常)の料理だから、掃除をするように洗濯をするように気張らずに料理すればいいと。だから「一汁一菜でよい」のだ。料理屋の真似をして美味しいもの、こじゃれたものを作るように心がけていた今までの私にとって、本当に目からウロコである。

 本書で違和感があったのは1点のみ。家庭で料理をするのは女性と限定しすぎている点だけだ。著者は今まで主婦が家族のために料理を続けてきたことに敬意を表している。しかし、今は子育て世代であっても共働きが7割を超えているという。男女雇用機会均等法以降の世代に育てられた若い世代の男性は、趣味としてではなく、それこそ掃除や洗濯と同様に家事として料理をする人も少なくない。母親の帰宅を待つ時間に自然に料理をするようになったようだ。そうした男性、また妻に先立たれたシニア男性へのエールも付け加えてほしかった。