akikoの読書日記

akikoの読書日記

本好きな方へ

 クラシック音楽を流すとイチゴやトマトが甘くなるという記事を読んだことがある。本当かなという疑問と、そうかもしれないと相反する気持ちがした。何年たっても実がならない金柑にガッカリして「もう抜いてしまおう」と言ったが、園芸好きの弟になだめられてそのままにしたら、その年初めて実をつけた。金柑も今年実を付けないと捨てられると悟ったのかとおかしかった。植物と気持ちが通じることがあるのかもしれない。

 植物を上手に育てる人をグリーンハンドと呼ぶ。江戸時代のグリーンハンドである、紀伊國の本草学者・畔田翠山をモデルにしたのが「奇のくに風土記」(実業之日本社)だ。本草学では主に薬草の研究をする。翠山は幼い頃から他人と言葉を交わすのが苦手だが、植物を見るのが好き。そして、植物と会話できる特殊能力を持った人物として描かれる。薬草となる植物を探しに入った霊山で天狗と出会ったり、草花に身を変えた亡霊と話したり。

 現の世界と幽霊の世界が自在に混じり合うが、違和感なく読み進められる。作者の木内昇は「よこまち余話」(中公文庫)でも、そうした世界を描いている。

 薬草についての記述も興味深いが、仕事小説の趣もある。翠山の師は薬草の効能の発見を「常に目を凝らしている者のもとに幸運は訪れる」と言い、父親の亡霊は「与えられた道で精進すればよい。夢中になれることを見付けた者は強い」と伝える。翠山も「書物で知識を得るのは楽しい。そやけど、それを鵜呑みにするには違う。書物で読んだことを、まことの草木を見て己の目で確かめることや。(中略)どんな生き物も、ひと括りにして語ることはできんのや」と師の孫に話す。加賀の白山への採薬の旅では同僚と「好きなことをしとるのに、長じると面倒を背負い込まんとならなくなるんや」「歳をとるゆうのは厄介なことですのう。やらんでええことに刻を割かれていくようや」と語り合う。現代のサラリーマンの居酒屋での嘆きに似ている。

 本書で私の胸に一番刺さった言葉は、「己が生を終えたとき、こんなふうによい香りを持つ思い出だけが身の内に残ればどれほど幸せだろうか」という藤袴を乾燥させた芳香に対する翠山の感想だ。そんな生き方をしたいなと思った。そして、翠山に習って庭の花や野菜に声をかけながら、水やりや草むしりをしようとも思った。