私の入った学校の一つは、国立地方立、というよくわからない肩書きがつく音楽学校でした。でも、パリにありますので、パリ”市立”音楽学校かと思っておりました。この学校は、私が入ったときには、もともとの「国立高等音楽学校」が使っていた建物を使用していました。だから!国立高等を出た、昔の作曲家などは、ここで勉強している校舎なのです。
ですが・・・
それは昔話・・・・
国立が別のパリのはずれに新校舎を作ることになったのも、年々発展し、生徒を収容しきれなくなったからでしょう。また、どう考えても、コンサートや試験のためのホールは不足していました。
建物は、しっかりした石の建物。でも、いつの頃からかの「部屋不足」は、あちこちで感じます。
大きかった部屋を単に二つで仕切ったような部屋は、隣の物音がまる聞こえ。これってベニヤの壁!?
もちろん壁紙などは、ずいぶん前から修理していない様子。
トイレも情けないものです・・・そして、
2回に一度は止まっているようなエレベーター。
いつ途中で止まって閉じ込められるのか?なんていう雰囲気でした。階段は由緒ある分広いお屋敷タイプ。一階上がるだけで、180度分、回転するつくりです。とっても遠く感じました。
天井はもちろん高いのでその分、段数がたくさんありました。
私は疲れで階段が苦手でしたが、チェロやらコントラバスの生徒のことを思えば、なんでもありませんね。
そして古いガラスの入った?廊下も寒い。ここで順番を待ち、部屋いっぱいになって、オーケストラと演奏の練習などをしていました。
この廊下で、あの作曲家も待っていたのかな・・・
と思えば気分は悠久・・・でも、そんな雰囲気がなかったのが・・・なんというか。
そんなことを感じる余裕も、私にはなかったのかもしれませんね・・・