留学生日記57~由緒あるおんぼろ校舎~ | パリと音楽と大学と

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パリにて声楽、シャンソンを指導。パリの音楽学校在学中より、フランス各地・ヨーロッパで様々なコンサートを経験。フランス国家公認声楽講師資格。アラフィフの物語を振り返るつもりです。

私の入った学校の一つは、国立地方立、というよくわからない肩書きがつく音楽学校でした。でも、パリにありますので、パリ”市立”音楽学校かと思っておりました。この学校は、私が入ったときには、もともとの「国立高等音楽学校」が使っていた建物を使用していました。だから!国立高等を出た、昔の作曲家などは、ここで勉強している校舎なのです。


ですが・・・


それは昔話・・・・


国立が別のパリのはずれに新校舎を作ることになったのも、年々発展し、生徒を収容しきれなくなったからでしょう。また、どう考えても、コンサートや試験のためのホールは不足していました。



建物は、しっかりした石の建物。でも、いつの頃からかの「部屋不足」は、あちこちで感じます。

大きかった部屋を単に二つで仕切ったような部屋は、隣の物音がまる聞こえ。これってベニヤの壁!?

もちろん壁紙などは、ずいぶん前から修理していない様子。

トイレも情けないものです・・・そして、

2回に一度は止まっているようなエレベーター。

いつ途中で止まって閉じ込められるのか?なんていう雰囲気でした。階段は由緒ある分広いお屋敷タイプ。一階上がるだけで、180度分、回転するつくりです。とっても遠く感じました。

天井はもちろん高いのでその分、段数がたくさんありました。


私は疲れで階段が苦手でしたが、チェロやらコントラバスの生徒のことを思えば、なんでもありませんね。


そして古いガラスの入った?廊下も寒い。ここで順番を待ち、部屋いっぱいになって、オーケストラと演奏の練習などをしていました。


この廊下で、あの作曲家も待っていたのかな・・・


と思えば気分は悠久・・・でも、そんな雰囲気がなかったのが・・・なんというか。

そんなことを感じる余裕も、私にはなかったのかもしれませんね・・・