慌ただしく過ごしているうちに6月も半分が過ぎました。個人的にはいろいろあって、慌ただしかったのですが、まもなく今年も上半期が終わります。その約半年の間、テレビ、ネットのニュースや新聞、週刊誌等で、かなりインパクトのあるフレーズー耳を疑うようなーをいくつか目に、耳にしました。
というわけで、独断と、偏見ではなく真面目に、考えた〝上半期の新語・流行語大賞候補〟扱いにして、いくつか挙げてみたいと思います。
新語・流行語大賞候補
根拠はないが可能性を否定できない
受信料は視聴の対価ではない
国益なくして人権もない
三つとも
『○○~ない』
なのは偶然なのかどうかわかりませんけど、決して語呂合わせ、では〝ない〟。
一番上は、明確にこのように発せられたわけではないようですが、参院の法務委員会での女性議員の答弁を要約したもの。
こと議論をするうえで、この理屈をアリにすると、本当に何でもアリになってしまって平行線を辿る。どころか、多用することでその場を支配し、最終的に相手を言い負かせてしまう。詐欺めいていて、厄介極まりない弁舌です。
たまに〝科学的〟であると信じた説を強弁するあまり、あくまで仮説に過ぎないことをあたかも真実のように並べ立て、「いずれこうなるおそれ(可能性)がある」などと陰謀論者風に結論づけた文章を見ることがあります。それに似てませんかね。
とにかく〝論破したモノ勝ち〟で実は全然議論が進まない、という昨今の風潮を感じさせる、という意味で、新語・流行語大賞候補の筆頭に挙げたいと思います。
二つ目は、NHKの受信料制度に関するメディア向けの説明会で提出された文言。
いや私なんて、まさに
「視聴への対価」
と思って払ってきましたからね。
「特殊な負担金」
といった自覚はなかったなあ。
じゃあ何かと言うと「知る権利を維持」するため……の?。それならネットで済むかなあ、とは思いますね。
結局、信頼して利用している視聴者を裏切ってないですか?という気がします。
これは流行語大賞にノミネートすらされないかな。
最後はもう、言わずもがな、ですかね。
〝国益なくして人権なし〟
は文脈の本来的な意味として、日本語になってない気がするんですよね。だって〝人権〟て、国家の枠組みやなんかと関係あるんでしたっけ?
これも国会議員の言葉だとか。まあ私らなんて習ったことはないかもしれないな確かに。だからこっちが間違ってるのかもしれませんけれど……。
内容が滅茶苦茶だけに、これもノミネートは無理ですね。
結局のところ、言葉の力が失われつつある、ってことになるんでしょうか。
なんだかどんどんつまらなくなってる気がする……。