Vol.1057-1/2 R巻頭-169。琴電踏切フォトSKETCH-03<瓦町~栗林公園> | akijii(あきジイ)Walking & Potteringフォト日記

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「凡に中なる、これ非凡なり」(論語)、「何事も自分に始まり、自分に終わる。自分を救う道は自分以外ない」(夏目漱石の言葉)を座右の銘に、我流(感性だけ)の写真を添えて日記を綴る。

新居宮池は今

宮池に遊歩道周回で見るパーゴラ(左:周回景、右:ズーム景)

 

 

 

 

 

 

 

 

Akijii-blog頭言Repeat-169 Orignal掲載日:Vol.336 (2015.07.05)

基準の見極め。

 

社会の価値基準が、20~30年の周期で変化し続けていると理解することは、物事に的確に対処する上で重要である。70年前の敗戦時、アメリカが日本を民主的な国家へ導いたことは、四カ国に共同管理をされて東西分裂に見舞われたドイツに比べ、不幸中の幸いといえる。

憲法改正で国民主権が定められ、個人の権利が尊重されるようになった。
さらに教育改革でアメリカ式の学校制度が導入され、多数の新制大学が設立された。

これにより経済的に豊かな大卒人口が増え、消費が飛躍的に拡大したが、日本が戦後奇跡的な高度経済成長を成し遂げた一つの大きな要因となった。
戦前の日本では、個人は全体のためにあるという教育が施され、それが善とされていた。

それが「善か、悪か」が社会の価値基準になった時代といえる。
権利が重視される時代に入ると「損か、得か」が価値基準の主流となり、卑しい印象は受けたものの、敗戦の窮状から脱していく上では的確な基準となった。

日本はこれに基づいて高度成長を成し遂げ、世界から絶賛される黄金の70~80年代を迎えた。

そして、生活が豊かになってくると、各人が好きな暮らしをしたいという欲求が高まり、社会の価値基準は「好きか、嫌いか」へシフトして行った。
機能性よりも、見た目や個人の好みを重視した商品が求められるようになり、ブランド品も持て囃されるようになった。それが行き過ぎると、大衆の心理を悪用した偽物が出回ったり、いかがわしい人間がにわかに台頭しているようなことも出始め、国民は次第に「本物か、偽物か」を判断の基準とするようになった。
これから、いかなる価値基準に従って歩んでいくか、日本の未来は大きく異なってくる。
日本を母体にしただけの善し悪しで考えるのではなく、アジア、そして世界全体の幸福も見据える事が重要となっている。私たち日本人は、このことを自覚しなければならないと思う。

 

 

<高くがる空間>

ウォーキングコースから見る高松クレーター5座の上空(遠景)。

ウォーキングコースから見る高松クレーター5座の上空(ズーム景)。

御坊川橋か(花園町)ら見ることでん御坊川橋梁と奥にJR高徳線高架橋の上空。

JR高徳線高架橋(上福岡町)の上空。

 

 

A seasonal flower 

◇ウォーキングコースのお宅の垣根のフウセンカズラ

 

◇Fk宅の花壇

◇ウォーキングコース脇の空地のオオシロカラカサタケ(左:当日、右:翌日)

 

◇ウォーキングコース脇に咲くオシロイバナ

 

 

 

<akijii展- (615) 

今報は、スクラッチアート(美しいイングリッシュガーデンの世界-10点)-№4

№4:心を鎮める不揃いのシャクヤクを掲載します。

所要時間は215M(3.6H)でした。

 

引き続き、Vol.1057-2/2をご覧ください。