Vol. 1050-2/3に続けてご覧ください。
▼西北角の香川県弁護士会館と奥に高松家庭裁判所・右奥にヨンデンビル、金毘羅街道を北方向に進む-1
▼左(西)の香川県弁護士会館、右の西日本放送会館-1
▼右の西日本放送会館-2
▼ヨンデンビル
▼金毘羅街道を北方向に進む-2、次の交点を右折
▼丸の内を東方向へ進む-1
▼丸の内を東方向へ進む-2
▼丸の内を東方向へ進む-3
▼丸の内を東方向へ進む-4、右折して香川大神宮へ寄る
▼次の交点を左折、香川大神宮へ進む-1
▼香川大神宮へ進む-2(左奥に見えて来た)、香川大神宮に着いた
▼香川大神宮-1
▼香川大神宮-2
▼香川大神宮-3
▼フェリー通りへ進む-1
▼フェリー通りへ進む-2、フェリー通りが見えて来た
▼フェリー通りの交点を左折、フェリー通りの交点の右(南)方向
▼フェリー通りを北方向に進み瀬戸大橋通りに合流、フェリー通りと瀬戸大橋通りの交点を左折
▼瀬戸大橋通りを西方向に進む-1(左側-丸の内・右側-玉藻町)
▼瀬戸大橋通りを西方向に進む-2、左は大川バス高松本社
▼瀬戸大橋通りを西方向に進む-3、左奥にダイヤパレス丸の内
▼瀬戸大橋通りを西方向に進む-4、右に高松城跡艮櫓
▼瀬戸大橋通りを西方向に進む-5、右に高松城跡
▼左奥に西日本放送会館、左にヨンデンビル-1
▼左にヨンデンビル-2
▼左側に高松法務合同庁舎-1
▼左側に高松法務合同庁舎-2
▼左側に高松法務合同庁舎-3
▼瀬戸大橋通りを西方向に進む-6(寿町交差点が見えて来た)、寿町交差点に着いた
▼帰路のJR高松駅へ向かう(約0.8Km)、国道30号線東沿いを北方向に進む-1
▼国道30号線東沿いを北方向に進む-2
▼国道30号線東沿いを北方向に進む-3、香川県独立の父「中野武営像」に寄る
▼中野武営像が見えて来た、中野武営像に着いた(右は高松城跡西門)
香川県の設置に尽力し「香川県独立の父」とも呼ばれる中野武営の銅像が高松市の玉藻公園に設置され、24年10月06日、除幕式が行われました。実業家で政治家の中野武営は、香川県が136年前の明治21年に愛媛県から分離して設置されたことに尽力したことから「香川県独立の父」とも呼ばれています。
その功績を広く知ってもらおうと中野武営顕彰会が武営の銅像を高松市の玉藻公園に設置し、6日、池田知事や武営の孫などが出席して除幕式が行われました。関係者が紅白の綱を引き銅像がお披露目されると、拍手が送られました。
武営のやしゃご、中野肇さんが「四国のこれからを見ているようなすばらしい像なので、みなさんに愛され、末永く残ってほしい」と述べて式は終わり、公園を訪れた多くの人たちが銅像を見ていました。
銅像は、台座を含めて高さが4m60cmあり、背広姿の武営が両手を広げて前を見つめる姿が表現されています。
銅像を設置した中野武営顕彰会の佐伯勉会長は「準備を進めてきた5年の間にコロナがあって大変だったが、寄付金なども順調に集まり、この日を迎えられて、うれしい。銅像を見てもらい、武営がどういう人だったか知ってほしい」と話していました。(24-10-06 NHK-香川NESWEB)
▼中野武営像-1
▼中野武営像-2
▼JR高松駅へ進む-1
▼JR高松駅へ進む-2、JR高松駅に着き帰宅の途に就いた
高松市の行政町名数は182である。2010年5月11日付け「高松市みんなの行政地図」に掲載されている。
今回AKIJII-BLOGでは、23-04-20<Vol.889>から25-07-25<Vol.1050>まで(Vol.1000~1003まで特集版)の158報を「Akijii気ままniフォトsketch」と題して投稿しました。
高松市の島嶼部(女木・男木町)や市南部山間部(塩江・植田町…)へは足が届きませんでしたが、Sketchした町は165を数えカバー率90%をキープする事が出来ました。
「Akijii気ままniフォトsketch」のまとめとして、「高松市町別の気ままniフォトsketch水彩画展編01(Vol.1051)~04(Vol.1054)」を次報からお届けします。お付き合いをお願いいたします。
▶▶▶▶▶▶ 今報了◀◀◀◀◀◀