Vol.997-3/3 R巻頭-109。歴史(観て歩き)レポ-県都編:25<高松市茶臼山古墳> | akijii(あきジイ)Walking & Potteringフォト日記

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「凡に中なる、これ非凡なり」(論語)、「何事も自分に始まり、自分に終わる。自分を救う道は自分以外ない」(夏目漱石の言葉)を座右の銘に、我流(感性だけ)の写真を添えて日記を綴る。

Vol.997-2/3に続けてご覧ください。

 

さぬき歴史(き)フォトレポ-県都:25<高松市茶臼山古墳>

37.高松市茶臼山古墳 <撮影:2016.04.09 and 2018.06.17>

高松平野の東部、茶臼山(ちゃうすやま)の山頂部を利用して築かれた全長75mの前方後円墳である。昭和44年(1969)の発掘調査により、後円部中央に2つの石室が発見された。大きな方の石室からは、鍬形石と呼ばれる腕輪の一種が2個、鏡(画文帯重列式神獣鏡)が1面等、副葬品が発見された。鍬形石は県内唯一の事例で、四国でも他に徳島市の巽(たつみ)山古墳の例があるのみである。大和の勢力者から分配を受けたものと考えられ、茶臼山古墳の被葬者が近畿地方と密接な関係にあった証拠とされている。石室も近畿地方にみられる構造をしていることが知られている。約6km西方の石清尾山古墳群との関係で語られることも多く、被葬者が大和勢力によって高松平野に打ち込まれた楔(くさび)のような政治的な役目を持っていたといわれる。しかし、石室が東西に築かれる等、地元色もうかがわれる。 (高松市HP)

 

<所在地・外観>

▼高松市茶臼山古墳-高松市東山崎町・新田町

▼高松市茶臼山古墳-畿内との強い結びつき

 

 

春日川・新川を見下ろす高松平野東方の丘陵地には、数多くの古墳が分布している。

 

▼高松平野東方の古墳群図(web引用-水彩画風変換)

 

JR屋島駅の西側を南北に走る県道30号線を3kmほど南に行くと、右手に久米池が見える。

 

▼県道30号線、久米池

 

 

久米池南方の2つの丘陵のうち、東側丘陵上の標高約40mに、南西の平野部に向けて後円部を配した前方後円墳の「高松市茶臼山古墳」(県史跡)がある。

 

<概 要><歴史遺産>

▼久米池南方の2つの丘陵

▼久米石清尾八幡宮の御旅所前を左折(南方向) 、一心院に向かって進む

 

▼次の三叉路を左折、茶臼山の登り口(一心院)に着いた

 

▼茶臼山へ上る-1、一心院を通る-1

 

▼一心院を通る-2 、茶臼山へ上る-2

 

▼高松市朝日町の方向、茶臼山へ上る-3

 

▼茶臼山へ上る-4、高松市茶臼山古墳に着いた

 

 

花崗岩の地山(じやま)を整形して築造された墳丘は、前方部が鏡の柄のように狭くて長くなっている。

後円部には安山岩の板岩を整然と小口積みし、床面には粘土が敷き詰められた竪穴式石室が有り、碧玉(へきぎょく)製の鍬形石(くわがたいし)2個、画文帯(がもんたい)神獣鏡1面などが出土した。

後円部にもう1基の竪穴式石室が有る他、前方部付近にも6基の埋葬施設を持つ。

 

▼説明板

 

▼第1主体部-全景、石室

▼第1主体部-石室の壁と天井

 

▼第1主体部-石室の天井、石室から開口部

 

▼第2主体部-全景、石室の開口部

 

▼第2主体部-石室の壁、石室の天井

 

 

高松市茶臼山古墳の出土展示品の代表は次である。(web引用-水彩画風変換)

 

▼ガラス小玉、円筒埴輪

 

▼画文帯同向式神獣鏡、出土品展示台

 

▼鍬形石、土師器壺

 

▼鉄刀・鉄剣、鉄鏃(てつぞく)

 

 

茶臼山から県道30号線を北へ約500m行き、右折して丘陵への道を200mほど入ると「久本(ひさもと)古墳」がある。

 

<関連遺産>

▼久本古墳へ進む-1

 

▼久本古墳へ進む-2、久本古墳に着いた

 

 

南向きに開口している全長10.8mの横穴式石室が有るが、この石室の奥壁には県内で唯一の石棚が見られる。棚の下には陶棺が置かれ、その横からは須恵器や鉄器などと共に、仏教的性格の強い承台付銅鋺が県内で初めて出土している。

 

▼全景、説明板

 

▼巨石の開口部と羨道、羨道

 

▼羨道の壁と天井

 

▼玄室、玄室の棚

 

▼玄室の壁と棚

 

▼玄室の壁と棚と天井

 

▼玄室の壁と天井

 

▼玄室から開口部を見る

 

 

久本古墳の出土展示品は次である。(web引用-水彩画風変換)

 

▼久本古墳出土品-陳列台、須恵器や鉄器

 

▼久本古墳出土品-承台付銅鋺

 

▼久本古墳-石棚の下部に土師質亀甲型陶棺が安置されていた、展示品

 

 

久本古墳の北方向約700mの岡山公民館の近くに、民家に囲まれた巨大な一枚岩の天井を持つ「山下古墳」がある。墳丘の大半は失われているが、長さ9mを超える石室が現存している。

 

▼岡山公民館の前の標示板、山下古墳に到着

 

▼開口部、石室-1

 

▼石室-2

 

▼天井石-1

 

▼天井石-2 、石室から開口部

 

 

巨石を用いた久本古墳と山下古墳は、古墳時代後期の6世紀後半から末頃に築造され、被葬者はこの地域の盟主的な存在で有ったであろう。

<文は現地説明板やWebなどより引用した>

 

▶▶▶▶▶▶ 今報了◀◀◀◀◀◀