Vol.993-3/3 R巻頭-105。歴史(観て歩き)レポ-県都編:21<光泉寺山遺跡-他1> | akijii(あきジイ)Walking & Potteringフォト日記

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「凡に中なる、これ非凡なり」(論語)、「何事も自分に始まり、自分に終わる。自分を救う道は自分以外ない」(夏目漱石の言葉)を座右の銘に、我流(感性だけ)の写真を添えて日記を綴る。

Vol.993-2/3に続けてご覧ください。

 

さぬき歴史(き)フォトレポ-県都:21<光泉寺山遺跡と下司寺塔跡>

32.下司廃寺塔跡と光泉寺山遺跡 <撮影:2018.06.12>

下司廃寺(げしはいじ)塔跡には、塔跡とみられる方形基壇と5個の礎石が残っており、白鳳期のものと考えられる八葉複弁蓮華文軒丸瓦や重弧文軒平瓦も出土している。また、縦5cm・横8cm・厚さ2.2cmの塼仏片も発見されており、この地域に白鳳文化が栄えていた事が解る。現在、この塼仏片などは、坂出市府中町の香川県埋蔵文化財センターに保管されている。

 

光泉寺山(こうせんじやま)遺跡は、上佐山(うわさやま)(256m)の東麓に位置する円形状の丘陵裾で、弥生時代前期末の土器包含層と丘陵高所を取り巻く環溝の存在が確認されている。土器は、いずれも弥生時代前期に属するもので、壺形土器・甕形土器ともに平行沈線文様が施文されている。丘陵名は室町時代にあったと伝えられる光専寺に由来しているが、海岸線から約12kmも内陸部に入った所の前期集落として、高松平野における弥生文化の展開を知るためにも貴重な遺跡である。

 

<所在地・外観> 

光泉寺山遺跡と下司廃寺塔跡-高松市池田町市場/高松市東植田町2196

▼光泉寺山遺跡と下司廃寺塔跡-高松市南部の弥生文化から、白鳳文化への展開

 

 

ことでん西植田線のバス停「大亀」から、朝倉川に沿いながら東南に約1.5km行くと清光神社に着く。清光神社と小道を挟んだ東南の位置に「下司廃寺塔跡」がある。

 

<概 要><歴史遺産>

▼バス停「大亀」で降車、川北橋(春日川)を渡る

 

▼朝倉川沿いに東進、朝倉川(新あんこう橋)を南に渡る

 

▼一般道を南に進む、次の交点を左折

 

▼左に清光神社・右に下司廃寺塔跡、清光神社(高松市名木-ムクノキ)

 

▼下司廃寺塔跡へ右折、下司廃寺塔跡-1

 

▼下司廃寺塔跡-2

 

▼下司廃寺塔跡-3

 

▼下司廃寺塔跡-4

 

▼下司廃寺塔跡-5

 

▼下司廃寺塔跡-6

 

▼下司廃寺塔跡-7

 

▼下司廃寺塔跡-8

 

 

塼仏片などは坂出市府中町の香川県埋蔵文化財センターに保管されている。

 

▼香川県埋蔵文化財センター外観、入口ホール

 

▼香川県埋蔵文化財センター第一展示室

 

 

ことでん西植田線のバス停「大亀」に戻り、県道156号線を北へ約2kmのバス停「市場」から南300mの道路東側に「光泉寺山遺跡」がある。

 

<関連遺産>

▼市場バス停、光泉寺山

 

▼光専寺山古墳-調査地位置図、遺物実測図(web引用)

 

▼光泉寺山遺跡-1

 

▼光泉寺山遺跡-2

 

▼光泉寺山遺跡-3

 

▼光泉寺山遺跡-4

 

▼光泉寺山遺跡-5

 

▼光泉寺山遺跡-6

 

▼光泉寺山遺跡-7

 

▼光泉寺山遺跡-8

 

<文は現地説明板やWebなどより引用した>

 

▶▶▶▶▶▶ 今報了◀◀◀◀◀◀