Vol.969-3/3 R巻頭-81。歴史(観て歩き)レポ-西讃編:14<大興寺・菅生神社> | akijii(あきジイ)Walking & Potteringフォト日記

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「凡に中なる、これ非凡なり」(論語)、「何事も自分に始まり、自分に終わる。自分を救う道は自分以外ない」(夏目漱石の言葉)を座右の銘に、我流(感性だけ)の写真を添えて日記を綴る。

Vol.969-2/3に続けてご覧ください。

 

さぬき歴史(き)フォトレポ-西讃:14大興寺・菅生神社

22.大興寺(小松尾寺) <撮影:2015.10.20 and 2019.05.30>

一般に「小松尾寺」として親しまれている大興寺(だいこうじ)は、四国八十八ヶ所霊場第67番札所として多くのお遍路さんが訪れています。弘仁13年(822年)弘法大師空海が建立したのが始まりとされていますが、境内からはそれより古い時代の瓦などが発掘されており、草創は奈良時代とも考えられています。

現在の大興寺は戦国時代に兵火に焼け、慶長年間(1596~1615年)に再建されたものです。弘法大師がこの寺での修行中に植えられたと伝えられるクスやカヤも、県の自然記念物・保存木に指定されています。木造金剛力士立像の高さは2体とも3.14mあり、檜材寄せ木造で彩色されています。また鎌倉期の秀作とされる扁額には中央に大きく「大興寺」と彫られ、裏面には平安期3蹟の一人藤原経朝のよって書かれたことがわかる陰刻もあります。この扁額も県最古と言われています。   (三豊市HP)

 

<所在地・外観>

▼大興寺-三豊市山本町辻4209

▼大興寺-多くの文化財が残る四国霊場67番札所、大辻集落の鋳物師集団

 

 

国道377号線の三豊市コミバス停「大興寺口」(山本町辻)の西角を、南方向に約1km行くと小松尾山「大興寺」(小松尾寺、真言宗)の門前に着く。

 

<概 要><歴史遺産>

▼三豊市コミバス「三谷(現在は大興寺口)」バス停、大興寺への案内板

 

▼大興寺へ向かう-1

▼大興寺へ向かう-2、窯跡群

 

▼大興寺へ向かう-3、大興寺に到着

 

▼大興寺の門前、山門(仁王門)

 

 

往時は、36坊の僧坊が甍(いらか)を並べ、盛大を究めていたが、1578(天正6)~83年に讃岐に侵攻してきた長宗我部元親の兵火により、本堂を残して堂塔はことごとく焼失した。

 

長崎生まれの廻国聖(かいこくひじり)(諸国札所を巡り歩く巡礼聖・六部衆ろくぶしゅう)大助らが、1789(寛政元)年に再興した山門を潜り石段を上ると、入母屋造の本堂があり、本尊の「木造薬師如来坐像」(県文化)が祀られている。

 

▼仁王門の扁額と金剛力士立像、小松尾寺のカヤ(県指定木)

 

▼小松尾寺のクス(県保存木)

 

▼大興寺-石段、手水舎

 

▼本堂、木造薬師如来坐像(web引用-水彩画風変換)

 

 

本堂の右は天台(てんだい)大師堂で、「木造天台大師坐像」(県文化)を祀り、左に弘法大師堂がある。

 

▼天台大師堂、木造天台大師坐像(web引用-水彩画風変換)

 

▼弘法大師堂、寺務所

 

 

大興寺には「木造金剛力士立像」(県文化)や、書道世尊寺(せそんじ)流の第9代、従三位(じゅさんみ)(のち正しょう三位)藤原経朝が1267(文永4)年に奉納した、寺号「大興寺」を刻む「木造大興寺扁額」(県文化)がある。

 

▼木造金剛力士立像、木造大興寺扁額(web引用-水彩画風変換)

 

 

鐘楼の梵鐘は、元は1685(貞享2)年に原吉兵衛(きちべえ)が菅生神社(山本町辻)に寄進したものである。

 

▼鐘楼、梵鐘

 

原吉兵衛は、大辻東の鋳物師(いもじ)集落が形成され始めた頃の鋳物師集団の宗家である。

また刻まれた銘文から、この梵鐘が、原字右衛門(じえもん)の作と解るが、これ以外にも原字右衛門の銘のある作品として、大法寺(山本町辻)の鉄灯籠、菅生神社の大水鉢、善通寺(善通寺市)五重塔の水煙などが現存している。(探索したが、大法寺の鉄灯籠、菅生神社の大水鉢は既に現地から姿を消していた。)

 

▼大法寺

 

▼菅生神社-(現)拝殿、(旧)拝殿と大水鉢(web引用)

 

▼善通寺-五重塔、水煙

 

 

大辻の鋳物業は現在も受け継がれており、その内の1軒である原鋳造所には1850(嘉永3)・59(安政6)年の「勅許(ちょっきょ)状」が、もう1軒の金安鋳造には、1851(嘉永4)年の「掟書」が伝えられており、当時の鋳物師が朝廷から特別な待遇を受けると同時に、職業上の厳しい規制を受けていた事が解る。

 

▼大辻の鋳物業の位置図(web引用) 、原鋳造所

 

▼金安鋳造㈱

 

▼大興寺-境内、七日燈明

 

▼大興寺-三鈷松、水子地蔵

<文は現地説明板やWebなどより引用した>

 

23.菅生神社 <撮影:2015.10.20 and 2019.05.30>

鎌倉時代前期の嘉永2年(1226年)の創建と伝えられる菅生(すがお)神社。3月には戦国時代の名残を残す古式ゆかしい「百々手祭り」が、10月には時代絵巻さながらの奴行列が繰り出す秋祭りなどが行われます。境内地のうち6,070坪(20,112㎡)の社叢は、国指定の天然記念物に指定されています。古い時代の植生を残しており、学術的にもきわめて貴重な樹林として保護されています。本殿の裏には石塔群が・・・・。    (三豊市HP)

 

<所在地・外観>

▼菅生神社-三豊市山本町辻1433

▼菅生神社-天然記念物に指定された貴重な自然林が残るかつての郷社

 

 

大興寺から国道377号線に戻って北東へ進み、直ぐの三谷交差点のY字路を左に進むと、400mほどで道の左側に「菅生神社社叢」(国天然)が見えてくる。

 

<概 要><歴史遺産>

▼菅生神社へ向かう-1

 

▼菅生神社へ向かう-2

 

▼菅生神社が見えて来た、菅生神社に着いた

 

 

菅生神社は、讃岐国山本郷7カ村の鎮守として、氏子の信仰と生活の中心を成していた。

1.8haの社叢は、長い間、神域として保護された事も有って、古い時代の植生、原始林相を残している。植物の種類も木本・竹本類、シダ・コケ類など36科104類が確認されており、ミミガバイ・ツブラジイ・モッコク・カクレミノなど珍しい種類が多く、特にカンザブロウノキは、県内唯一の生育地となっている。

 

▼菅生神社-鳥居、参道1

 

▼菅生神社-参道2、社殿

 

▼菅生神社-拝殿、本殿

 

▼菅生神社-本殿裏の石塔群

 

▼菅生神社-天然記念物の案内板、天然記念物の社叢1

▼天然記念物の社叢-2

 

▼天然記念物の社叢-3

 

 

<関連遺産>

菅生神社から国道377号線に戻り東へ約2km行き、三豊警察署・長瀬駐在所の横の信号交差点を右折して300m進むと「木造帝釈天立像」(県文化)のある宗運寺(真言宗)がある。

昭和44年(1969年)、に指定された木造帝釈天立像は、11世紀頃の藤原時代に製作されたと推定されているが、和風の親しみのある面相を持ち、香川県にある天部像の中では最も優れた仏像と云われている。

 

▼宗蓮寺-山門、境内

 

▼宗蓮寺-十三重の塔、木造帝釈天立像(Web引用-水彩画風変換)

 

木造帝釈天立像は桧の一本造りで造高109.7cm、腹前の衣文は太い襞の間に二条の細い襞が有り珍しい。県下の天部形の中で異色像と云われる。

当寺では本尊・聖観世音菩薩が帝釈天に化身した姿と伝えられ信仰を集めている。

 

 

 

また、菅生神社の西約500mの所には本県では数少ない中広形銅矛(どうほこ)(豊浜町国祐寺蔵)の出土地である「辻西(つじにし)遺跡」がある。

 

▼辻西遺跡の位置図、辻西遺跡-中広形銅矛(Web引用-水彩画風変換)

 

<文は現地説明板やWebなどより引用した>

 

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