Vol.956-3/4 R巻頭-68。歴史(観て歩き)レポ-西讃編:01<琴弾八幡・観音寺他1> | akijii(あきジイ)Walking & Potteringフォト日記

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「凡に中なる、これ非凡なり」(論語)、「何事も自分に始まり、自分に終わる。自分を救う道は自分以外ない」(夏目漱石の言葉)を座右の銘に、我流(感性だけ)の写真を添えて日記を綴る。

Vol.956-2/4に続けてご覧ください。

 

さぬき歴史(き)フォトレポ-西讃:01<琴八幡宮・神恵院/観音寺

<01.琴弾八幡宮 <撮影:2014.04.12 and 2015.09.18 and 2018.05.04>

瀬大鳥居から381段の階段を上がると本殿がある。途中には、源義経が屋島の合戦の戦勝を祈願して奉納したと伝えられる木の鳥居や、「遍路道の父」とも言われている真念の道しるべが残っている。

琴弾八幡宮(ことびきはちまんぐう)の由来に琴の演奏の音楽がながれ、訪れる人の心を癒してくれる。本殿からの眺めは、雄大である。琴弾八幡宮は琴を祭神とすることから技芸や勝利の神として多くの人々が参拝に訪れている。

また、滝沢馬琴の「椿説弓張月」の舞台にもなっている。                         (観音寺市観光協会HP)

 

<所在地・外観>

▼琴弾八幡宮-観音寺市八幡町1-1-1

▼琴弾八幡宮-もと四国八十八個所68番札所は観音寺の氏神

 

 

JR観音寺駅の北約1km、川原町の財田川北側辺りは、染物が盛んに行われた事から、染川と呼ばれる。

 

▼JR観音寺駅、大正橋(-一の谷川を渡る)

 

 

<概 要><歴史遺産>

ここに架かる三架橋(県道21号線)を渡って北詰の観音寺市八幡交差点を左折すると、すぐに琴弾八幡宮神域入口の青銅製の大鳥居が見える。

 

▼三架橋(財田川)、三架橋を渡る

 

 

大鳥居を潜った琴弾八幡宮神幸殿前の広場を、かつての神仏習合の名残りで十王堂(じゅうおうどう)と呼ぶ。

 

▼青銅製の大鳥居-1、十王堂(神幸殿前の広場)

 

 

山上の社殿まで381段の石段を上る。

手水舎向かいの石の大鳥居は、1653(承応2)年、丸亀藩主山崎治頼(はるより)が寄進したものである。

 

▼青銅製の大鳥居-2、石の大鳥居

 

 

髄身門を潜って暫く上ると、補強された木の鳥居があるが、これは1185(元暦2)年、源義経が屋島の合戦で勝利した後、平氏追討祈願のため奉納したものと云う。参道両脇の玉垣には、地元商人や祭礼奉納太鼓台組、諸国商人の名が並び、広域から信仰を集めていた往時が偲ばれる。

 

▼随身門、381段の石段を上る

 

▼木乃鳥居、参道両脇の玉垣

 

▼本宮への鳥居、拝殿

 

 

拝殿・本殿のある山上(標高約70m)からは、観音寺の町並みや燧灘の素晴らしい眺望が広がる。

 

▼本殿、本殿と拝殿

 

▼絵馬堂、絵馬

 

▼観音寺市内、燧灘に浮かぶ伊吹島

 

 

本殿の西脇から裏側へ進み、石段を下ると、象ケ鼻展望台から砂上に彫られた砂絵の寛永通宝(東西122m・南北90m・周囲345m)が見下ろせる。

 

▼本殿の西側から石段を下る、象ケ鼻展望台

 

▼展望台ら見る銭形砂絵

 

 

琴弾八幡宮」は、「絹本著色(けんぽんちゃくしょく)琴弾宮絵縁起」(国重文)、讃岐国七宝山八幡琴弾宮縁起(ともに神恵院・観音寺所蔵)などによると、703(大宝3)年、来臨した宇佐八幡神を僧日證上人が迎えて社を創建した事に始まる。雲と共に山麓の浜に表れた船から妙なる琴の音が流れ、近づいた日證に老翁が姿を見せて、自分は宇佐八幡神であり当地に留まりたいと告げ、さまざまな霊験を示した。これに答えて、日證は童子たちに船を山上に引き上げさせ、神殿を築き、船と琴を神宝として祀ったと云う。

 

観音寺(かんのんじ)の本堂、神恵院(じんねいん)の本堂

 

▼絹本著色琴弾宮絵縁起(web引用-水彩画風変換)

 

「金毘羅参詣名所図会」巻3で、挿絵と共に紹介されている巨岩を重ねた日證上人墓搭が、十王堂の山際、山之神神社脇にある。同書の八幡宮境内に描かれている鐘楼は、明治時代初期の神仏分離に際し、観音寺市流岡町の「立専寺(りゅうせんじ)」(浄土真宗)に移築されている。

 

▼立専寺

 

▼立専寺の鐘楼

 

琴弾八幡宮が最も賑わうのが毎年10月第3土・日曜日に行われる秋の大祭である。

神事の中心となる祭礼行列は、山上の本殿から始まる。縁起に由来する船の輿(こし)と琴に続いて、神の依坐(よりしろ)とされる「一ツ物(ひとつもの)」という童子の乗物が3基の神輿を先導する。石段を下った行列は山麓の神幸殿に到着し、ここを御旅所とする。

また、その起源が19世紀前半まで遡るという太鼓台(ちょうさ)の奉納も見どころの1つであろう。

 

▼琴弾八幡宮・秋季大祭-1(web引用)(web引用-水彩画風変換)

 

▼琴弾八幡宮・秋季大祭-2(web引用-水彩画風変換)

 

▼琴弾八幡宮・秋季大祭-3(web引用-水彩画風変換)

 

 

西讃の太鼓台の中では、琴弾八幡宮奉納の9台の太鼓台が最大規模で、金糸や銀糸で刺繍を施した8本の布団締め・幕・4枚の掛布団の図柄は、伝承されてきたものを受け継ぎ、他の地区に類例のない独特のものもある。琴弾公園内の総合コミュニティーセンターには、実物の太鼓台が常時1台展示されている。

 

▼総合コミュニティーセンターの外観、展示室

 

▼実物の太鼓台

 

<文は現地説明板やWebなどより引用した>

 

引き続き、Vol.956-4/4をご覧ください。