Vol.951-2/3に続けてご覧ください。
さぬき歴史(観て歩き)フォトレポ-中讃編:38<宇多津の町家(屋)>
<58.宇多津の町家(屋)> <撮影:2013.04.23 and 2018.03.27>
宇多津町の旧市街地の古い町並み。宇夫階神社に続く旧街道沿いを中心とした町内に、町家(屋)が立ち並ぶ。
町家(屋)とは、間口が狭く、奥行きの長い「うなぎの寝床」(短冊形)のような敷地に、通りに面して敷地の幅一杯に主屋が建てられ、片側が通り土間になって、裏側の庭に出ることができる建物。
香川県の町家(屋)(まちや)の多くが京都と同じ平入り(軒先側から入る形)。宇多津の町家(屋)の特徴は、虫籠窓や出格子の持ち送り(格子窓を支える材)が手堅くまとめられていて、おとなしい表構えをしている。しかし、明治の初期に洋間を取り入れ、上質の御影石をふんだんに使うなど、確かな技術と手間をかけた町家(屋)が多い。
3月第1土日に開催される雛祭りイベントは、「古街(こまち)」と呼ばれる町家(屋)が残るエリアを中心に、約100軒の民家や商店などにひな人形が飾られる行事で、毎年大勢の見物客でにぎわいます。
玄関の中に入って見るところ、窓の格子越しに見るところ、庭から見るところなど一軒ずつ風情が違うおもしろさがあります。塩田と海運業で栄えた古い町並みを巡りながら、地元の特産品や食べ物の屋台、さまざまな催し物が楽しめる2日間である。
<所在地・外観>
▼宇多津の町屋-綾歌郡宇多津町、町役場南部一帯
▼宇多津の町屋-古い町並みを残す宇多津
<概 要><歴史遺産>
宇多津の町役場南部地域には、江戸時代の建物が大束川近くに6軒、明治時代の建物が旧丸亀街道沿いや本町・浦町・水主(かこ)町・倉之前などに41軒、大正時代の建物が町域南端の旧金毘羅街道沿いなどに63軒、昭和時代戦前期の建物が旧丸亀街道沿い、特に伊勢町筋を中心に178軒みられる。
▼今市・本町・浦町の界隈-1
▼今市・本町・浦町の界隈-2
▼今市・本町・浦町の界隈-3
▼今市・本町・浦町の界隈-4
▼今市・本町・浦町の界隈-5
▼今市・本町・浦町の界隈-6
▼今市・本町・浦町の界隈-7、水主町を進む-1
▼水主町を進む-1
▼水主町を進む-2
▼栄町・網の浦・伊勢町-1
▼栄町・網の浦・伊勢町-2
▼栄町・網の浦・伊勢町-3
▼古街-西町東・中を進む-1
▼古街-西町東・中を進む-2
▼古街-西町東・中を進む-3
▼古街-西町東・中を進む-4
▼古街-西町東・中を進む-5、古街-横町を抜ける-1
▼古街-横町を抜ける-2
今も新町橋の東側に残る江戸時代の豪商久住家(くすみけ)住宅の主屋は、広い間口の切妻造が特徴で、低い2階には凝った意匠の虫籠窓(むしこまど)や軒を支える持ち送り、軒を立派にみせる出桁(でげた)など、意匠を凝らしている。
▼久住家住宅-1
▼久住家住宅-2
▼久住家住宅-3
▼久住家住宅-4
▼久住家住宅-5
宇多津町役場南側の角地にある尖塔(せんとう)型の屋根をもつ洋館と日本家屋の主屋からなる「三角邸」(国登録)は、現在は町の所有となっているが、当地の豪商堺家の別邸として昭和時代の初期に建てられた。贅(ぜい)を尽くした近代和風建築と三角屋根の洋館は、宇多津が繁栄した近代の様相を今に伝えている。子どもの写生の対象として、また観光の目印として親しまれている。
▼倉の館三角邸-1
▼倉の館三角邸-2
▼倉の館三角邸-3
▼倉の館三角邸-4
▼倉の館三角邸-5
三角邸のある辺り一帯は、かつて高松藩の米の藩倉や綿・砂糖の会所があり、讃岐三白の集散地であった。「倉の前」という地名も残っている。
高松藩の東端の地として引田が栄えたように、西端の地として宇多津が栄えたと云える。
▼宇多津町役場、宇多津町役場にある石標-高松藩米蔵跡
▼倉の前の界隈-1
▼倉の前の界隈-2
▼倉の前の界隈-3
▼倉の前の界隈-4
▼倉の前の界隈-5
▼倉の前の界隈-6
▼徳山家住宅-1
▼徳山家住宅-2、新町橋から見る徳山家住宅
<文は現地説明板やWebなどより引用した>
▶▶▶▶▶▶ 今報了◀◀◀◀◀◀












































































