Vol.949-3/7 R巻頭-61。歴史(観て歩き)レポ-中讃編:36<宇多津7寺社> | akijii(あきジイ)Walking & Potteringフォト日記

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「凡に中なる、これ非凡なり」(論語)、「何事も自分に始まり、自分に終わる。自分を救う道は自分以外ない」(夏目漱石の言葉)を座右の銘に、我流(感性だけ)の写真を添えて日記を綴る。

Vol.949-2/7に続けてご覧ください。

 

さぬき歴史(き)フォトレポ-中讃:36宇多津7寺社

<50.宇夫階神社> <撮影:2013.04.23 and 2014.05.13>

宇夫階(うぶしな)神社で行われる秋まつりには、太鼓台、獅子、みこしが町内をねり廻ります。「さあしましょ」のかけ声で太鼓台を頭の上まで差し上げ、地面におとす様は、独特の担ぎ方で勇壮の一言に尽きます。町指定天然記念物の巨石と御膳岩もあります。出雲大社に祀られている「いなばの白兎」で名高い大国主神を その本名である大己貴命としてお祀りしています。神社の創建は古く、紀元前より鵜多郡津之郷に鎮座し、宇夫志奈大神と称え祀られていました。

日本武尊(やまとたけるのみこと)の御子武穀王(たけかいおう)が阿野郡(現 綾歌郡)の国造となり、内海を舟で巡視のおり暴風雨に遭い、驚いた王が宇夫志奈大神に御祈念なさると、忽ち小烏(こがらす)が飛び来て風波をしのぎつつ泊島(本島)に導き、難を逃れられた、との故事により小烏大神とも称えられています。

平城天皇の大同元年(807年)朝廷の勅命により社殿を造営し、今の場所に遷座しました。平成19年は、現在地に移って1200年目にあたります。また平安時代の正史「三代実録」に記載された古社で古くは、宇多津はもとより土器・川津・飯野・坂元と相当広範囲に亘る産土神(うぶしなのかみ)であったと伝えられ、明治27年には県社に昇格した県内有数の神社です。                               (宇多津町HP)

 

<所在地・外観>

宇夫階神社-綾歌郡宇多津町1644

▼御膳岩、宇夫階神社-今も残る巨石信仰

 

 

丸亀市との境、宇多津の旧町を見下ろす青ノ山の北麓に、「宇夫階神社」が鎮座する。

 

<概 要><歴史遺産>

JR宇多津駅から県道33号線に入り、北東に約650m行き荒神社のある交差点を右折し、約150m進むと宇夫階神社の参道入口に着く。

 

▼青ノ山の全景、青ノ山から見る宇多津町

 

▼宇夫階神社の参道口、二の鳥居と階段

 

▼二の鳥居から宇夫階神社拝殿が顔を出す、宇夫階神社の拝殿-1

 

▼宇夫階神社の拝殿-2

 

▼宇夫階神社縁起額

 

 

本殿裏には高さ5.5m・直径4.0mの御膳岩がある。

 

▼宇夫階神社の巨石(いわさか)と御膳岩

 

 

10月10日には初白祭(はつもうしさい)が行われ、午前2時に御膳岩前でオトグイ神事が行われ、神饌が供えられる。社伝によれば、供えられた竹筒抜きのオゴク(白飯)を白烏が来て啄ばむと云い、その量に依ってその年の豊凶を占ったと云う。

 

▼初白祭(web引用)

 

 

社殿は1973(昭和48)年に焼失したが、その後、「本殿」は伊勢神宮外宮の第一別宮多賀宮御正殿の古材を譲り受けて再建され、国登録有形文化財になっている。

 

▼宇夫階神社の本殿、本殿の有形文化財の標示板

 

 

1934(昭和9)年に当社境内地に合祀された塩竈神社は、塩作りの神を祀り、宇多津塩業の盛時を偲ばせる。

▼塩竈神社

 

 

<古町の中を太鼓台が練り歩く>

◇宇夫階神社と塩竈神社の例祭を併せて3日間、宇多津秋祭り(10月下旬)が行われる。

(Web引用-水彩画風変換)

 

▼見どころマップ、神事

 

▼宮入、宮出風景

 

▼宇夫階神社の秋祭りの風景-1

 

▼宇夫階神社の秋祭りの風景-2

 

 

◇太鼓台の水引(みずひき)(Web引用-水彩画風変換)

▼宇夫階(妖狐・玉藻前)、海岸寺(天の岩屋戸の変)

 

▼北浦(海女の物語)、倉の前(武内宿禰の竜退治)

 

▼坂下東(宇夫階神社社伝)、新開(龍に乗った弁財天)

 

▼新町(竜虎の戦い)、田町(七福神)

 

▼大門(厳島内侍絵巻)、西町中(南総里見八犬伝)

 

▼西町東(安芸の宮嶋参詣の図)、濱町(源平合戦の武将)

  

▼平山(天の岩屋戸の変)、横町(源平合戦)

  

<文は現地説明板やWebなどより引用した>

 

引き続き、Vol.949-4/7をご覧ください。