Vol.943-2/2 R巻頭-55。歴史(観て歩き)レポ-中讃編:30<神谷神社本殿> | akijii(あきジイ)Walking & Potteringフォト日記

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「凡に中なる、これ非凡なり」(論語)、「何事も自分に始まり、自分に終わる。自分を救う道は自分以外ない」(夏目漱石の言葉)を座右の銘に、我流(感性だけ)の写真を添えて日記を綴る。

Vol.943-1/2に続けてご覧ください。

 

さぬき歴史(き)フォトレポ-中讃:30<神谷神社本殿

 41.神谷神社本殿>  <撮影:2017.06.27>

神谷神社(かんだにじんじゃ)本殿は三間社流造(さんげんしゃながれづくり)の神社として昭和30年に国宝として指定されて現在に至って県内でも数少ない国宝建造物であります。三間社流造りの本殿は、檜皮葺の屋蓋・ヤリガンナ仕上げの丸柱・面とりの向拝の角柱などに鎌倉時代の建築様式がよく表現されており、この時代の建築としては、我が国最古といわれております。大正時代に本殿の修理が行われて何枚かの棟札が見つかりましたが、その1つに建保7年に本殿を再建したことが記された墨書銘がありました。このように神谷神社本殿は、鎌倉時代に再建され当時の建築様式を残してきている訳ですが、その名称は更に古い平安時代の「三代実録」や「延喜式神名帳」とった文献にも見い出すことができます。

神谷神社には、本殿以外にも重要文化財や市指定文化財を所有されており、なかでも重要文化財・木造随身立像二体は、全国的にも珍しい立像で、非常に希少性の高い像といえます。このほか写経大般若経・法楽連歌・舞楽面・木造狛犬・神号扁額・棟札などの宝物を所有されており、神社の周辺には多層塔・残念石・経塔など中世を中心とした史跡が数多く残されています。

 

<所在地・外観>

▼神谷神社-坂出市神谷町550-2

▼神谷神社-三間社流造の本殿、国宝神谷神社

 

 

JR鴨川駅から県道180号線を北に向かい、神谷交差点で右折して三叉交点の「神谷神社⇦」案内板に従い進み、神谷橋(神谷川)を渡り直ぐ右折して川沿いに進むと神谷神社に着く。(JR鴨川駅から約3km)。

 

<概 要><歴史遺産>

延喜式内讃岐国二十四社の神谷神社には、祭神火結命(ほむすびのみこと)・奥津彦(おくつひこ)命・奥津姫(ひめ)命が祀られている。古くは、本殿裏の神谷川の畔にある影向石(ようごうせき)と呼ばれる巨石(磐境いわさか)の周辺から弥生土器も出土しており、巨石への信仰が有ったと考えられている。

 

▼神谷神社-参道の鳥居、本殿の説明板

 

▼神谷神社-社号標、参道鳥居の扁額

 

▼神谷神社-延喜式内の社号標、注連柱

 

▼神谷神社-残念切りの石、正面鳥居と手水舎

 

▼神谷神社-手水舎と神社之図、由来

 

▼神谷神社-影向石(磐境いわさか)

 

 

社殿は、空海の叔父阿刀大足(あとのおおたり)の造営と伝えるが、現存する三間社流造の「本殿」(国宝)は、棟木(むなぎ)銘「正一位(しょういちい)神谷大明神御宝殿、建保七念(ねん)歳次己卯(つちのとう)二月十日丁末(ひのとひつじ)日始之(これをはむじ)惣官散位刑部宿禰(さんみぎょうぶのすくね)正長」から、鎌倉時代初期の1219(建保7)年の造営で有る事が解っており、建造年が明らかな流造神殿として国内最古の建物である。

 

▼神谷神社-拝殿-1

 

▼神谷神社-拝殿-2

 

▼神谷神社-境内、境内社

 

▼神谷神社-国宝-神谷神社本殿

 

 

本殿は乱石積(らんせきづ)みの基壇に、槍鉋(やりがんな)仕上げの丸柱や長押(なげし)、見事な反(そ)りを見せる檜皮葺きの屋根など、鎌倉時代の神社建築を伝える貴重なものと成っている。

 

▼神谷神社-本殿-1

 

▼神谷神社-本殿- 2

 

▼神谷神社-本殿-3

 

 

神谷神社は、五色台白峯の崇徳天皇陵への登り口にもあたり、中世には多くの信仰を集め、今も数多くの文化財を伝える。「木造随身立像」(国重文)は珍しい立像の阿吽1対、ケヤキの寄木造、像高125cm余りの像で、本殿が造営された鎌倉時代初期頃のものとされる。

また、鎌倉時代の作とされる木造狛犬1対もあり、本殿築造時の様子を窺わせてくれる。

 

▼神谷神社-重文-木造随伸立像

 

▼神谷神社-重文-木造随伸立像-阿形、吽形(web引用-水彩画風変換)

 

▼神谷神社-重文-木造随身立像-1対、木造狛犬(web引用-水彩画風変換)

 

 

また、県内最古とされる1496(明応5)年の法楽連歌(れんが)1巻には、室町時代の在地の有力武士安富氏や香西氏、神職と考えられる29人の百韻(ひゃくいん)連歌が記され、当社への崇敬の深さを伝えている。その他の宝物として、大般若経600巻や舞楽面、神号扁額なども納められている。

 

▼神谷神社-舞楽面(web引用-水彩画風変換)

坂出市の指定文化財の中には、奇妙な表情をした幾つかの仮面があります。これらの面は舞楽面と呼ばれていますが現在、神谷神社に所蔵されていますのは抜頭面と還城楽面の2面ですが、抜頭面は、父親をかみ殺した猛獣と格闘し、勝利して喜ぶ様を演じた舞であるとか、逆に虎に殺された父親の屍を見つけて、嘆き苦しむ舞に使用するといわれています。また、還城楽面は舞台のうえに小さな蛇を置き、その回りを舞いながら踊る舞踊の祭に使用するといわれています。      (坂出市HP) 

 

 

<2022年10月日=NHK NEWS WEB> 落雷で本殿の屋根焼ける 国宝「神谷神社」応急措置に着手

坂出市の神谷神社で、9月、落雷により、国宝の本殿の屋根が焼けた火事で、4日から、本殿の焼け残った部分を守るための応急措置の作業が始まりました。

坂出市神谷町にある神谷神社では、先月27日、落雷による火事で国宝の本殿のひわだぶきの屋根が焼けました。4日から焼け残った部分を守るための応急措置の作業が始まり、火事で損傷し落下するおそれがある、屋根の1番上の「箱棟」と呼ばれる部材をクレーンでおろす作業が行われました。

本殿の屋根やおろした箱棟は、ブルーシートで覆って雨などから保護するということです。

坂出市教育委員会によりますと、本殿は鎌倉時代の前期に創建され、三間社流造の神社建築としては、国内で最も古い社殿だということで、昭和30年に国宝に指定されています。

市によりますと、火事の翌日に現地を確認した文化庁の文化財調査官は、「現状では国宝の価値は損なわれてはおらず、指定の解除はない」という見解を示していて、今後の修理や復旧計画については、神社などと協議していくということです。

神谷神社の中尾格宮司は「修復まで長い道のりになると思うが、きょうが最初の一歩かなと思っています。できれば1日も早く屋根をふき替えて、さらにすばらしい本殿の姿に戻ってほしい」と話していました。

 

<関連遺産>

神谷神社の神事場から北へ約100mの「清立寺(せいりゅうじ)」(浄土真宗)には、「木造阿弥陀如来立像」(県文化)が祀られている。ヒノキの寄木造、像高99cmで、胸部内側の墨書銘によって、1270(文永7)年に僧長円(ちょうえん)が両親の極楽往生を願って造立したとされている。「讃岐国名勝図会」によると、本像は神谷神社(五社明神)の別当寺清龍寺に有ったもので、往時の隆盛ぶりを伝えている。

 

▼清立寺-山門、本堂

 

▼清立寺-鐘楼、納骨堂

 

▼清立寺-外壁、県文化説明板

 

▼清立寺-木造阿弥陀如来立像(web引用-水彩画風変換)

 

<文は現地説明板やWebなどより引用した>

 

▶▶▶▶▶▶ 今報了◀◀◀◀◀◀