Vol.936-2/2 R巻頭-48。歴史(観て歩き)レポ-中讃編:23<飯野山> | akijii(あきジイ)Walking & Potteringフォト日記

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「凡に中なる、これ非凡なり」(論語)、「何事も自分に始まり、自分に終わる。自分を救う道は自分以外ない」(夏目漱石の言葉)を座右の銘に、我流(感性だけ)の写真を添えて日記を綴る。

Vol.936-1/2に続けてご覧ください。

 

さぬき歴史(き)フォトレポ-中讃:23<飯野山>

<31.飯野山>  <撮影:2012.03.07 and 2017.07.01 and 2017.09.20>

瀬戸内海国立公園に位置する讃岐富士に登ってみませんか?頂上展望台から見下ろす讃岐平野の風景は、絶景そのもの! 飯野山(いいのやま)は、標高421.9m。丸亀市・坂出市にまたがる山で、それぞれに登山口があります。

丸亀市からの登山道は、健脚の方になると30分ほどで頂上に至るそうですが、初心者や家族連れは1時間ほどを予定し休憩しながら登るのがおすすめです。丸亀市のシンボルとして、讃岐平野の美山の象徴として愛されている飯野山(いいのやま)は、讃岐富士と呼ばれ、円錐形の見事な姿を誇っています。飯野山は、平成17年3月22日に「新日本百名山」に選定されました。これを祝し、頂上には記念碑が建立されました。この日は、丸亀市、綾歌町、飯山町が合併し、新「丸亀市」が誕生した記念すべき日と重なります。 (丸亀市HP)  

                                                       

「新日本百名山」のひとつ、飯野山の別名は”讃岐富士”。その名の通り、なだらかな裾野が美しい山。

標高422メートルの小さな”富士山”の、春にはふもとに桃の花のじゅうたんが広がります。

山頂から見えるのは、讃岐平野に浮かんでいるようなおにぎり形の山々と、穏やかな瀬戸内海の青い色。

片道約1時間で登れる気軽さから、ウォーキングやハイキングに人気の山。”おじょも”と呼ばれる大男によってつくられたという伝説があり、山頂には”おじょもの足跡”とされる巨大な岩が残っています。   (香川県HP)

 

<所在地・外観>

▼飯野山-丸亀市飯山町

▼飯野山-しいビュート讃岐富士

 

丸亀平野の中央部やや東寄りに、丸亀市飯野町と飯山町に跨る、標高422mの「飯野山」が聳える。讃岐富士と称され、溶岩台地が浸食されて円錐状になった美しい山容は、讃岐七富士の代表格である。

 

<概 要>

▼飯野山の全景(西麓の登山口付近) 、丸亀橋(丸亀市土器町)欄干と飯野山

 

▼土器川の河川敷と飯野山、丸亀大橋(国道11号)まで4000mの位置からの飯野山

 

▼土器川自転車道から高柳橋と飯野山、聖通寺山(宇多津町)から飯野山(左は角山)

 

▼香色山(善通寺市)から見る飯野山、筆ノ山(善通寺市)山頂から見る飯野山

 

▼猫山(綾歌町栗熊)登山道から北に見える飯野山、城山(綾歌町岡田)の山頂から見る飯野山と瀬戸大橋

 

▼大高見峰(綾歌町栗熊)下山の途中に見る飯野山、大麻山(善通寺市)山頂から見る飯野山

 

 

頂上へは北麓からの登山道(坂出ルート)、西麗からの登山道(飯野町ルート)、南麓からの急坂登山道(飯山ルート)があるがどのコースも約1時間で登れるが、私は西麗からの登山道から登った。

 

▼大きな案内板、登山口-1

 

▼登山口-2、登山道入口

 

▼登山道出発地点、登山道へ入る

 

▼登山道-三合目直登コース口、登山道-五合目

 

▼登山道-六合目、九合目

 

▼登山道-山頂間近、山頂に到着(三等三角点のakijii)

 

 

頂上には昭和天皇が摂政宮(せっしょうのみや)であった1922(大正11)年に来県し、翌年の歌会始に詠まれた「暁に駒をとゞめて見渡せは讃岐の富士に雲ぞかかれる」の歌碑などが立つ。

 

<歴史遺産>

▼昭和天皇の歌碑

 

▼おじょも桜、薬師堂

 

▼不動尊、大権現

 

 

また山頂部東寄りには、「おじょも(巨人)の足跡」と呼ばれる岩を始め、多数の巨石があり、古代の磐座(いわぐら)信仰の場で有った事が伺われる。

 

▼展望台入口、展望台

 

▼おじょも(巨人)の足跡、私の帽子と比較

 

▼多数の巨石-1

 

▼多数の巨石-2

 

 

西麓からの登山道入口には、「延喜式」式内社である飯(いい)神社が鎮座する。

 

<関連遺産>  

「古事記」の国生み神話の中で、四国(伊予の二名島ふたなしま)のうち讃岐は飯依比古(いいよりひこ)と言っているが、この飯依比古を祭神として祀っている、由緒のある神社である。

 

▼飯神社-鳥居、参道

 

▼飯神社-祓殿、狛犬と神門

 

▼飯神社-神門と神木の杉、境内

▼飯神社-拝殿、本殿

 

 

東麓には三ノ池古墳があるが、この古墳は古墳時代前期(四世紀頃)のもので、全長は35mで、後円部が下になる形に築造され、前方部が小さく低く、裾も広がっていない鍵穴形の前方後円墳である。かつて、組合箱式石棺が見つかり、殊紋鏡一面が副葬されていた。現在、後円部頂上には、弘法大師の石像を中心に、ミニ八十八カ所の巡拝所(石仏)が設置され、地域の人々の信仰の対象となっているこの周辺に同様の古墳が有り、出土品も多く見られる。この古墳の直ぐ下に岩薬師、薬師堂がある。  (飯山町教育委員会 現地の説明板より)

 

三ノ池(さんのいけ)薬師堂に祀られる不動尊像は木食善住(もくじきぜんじゅう)が1859(安政6)年、64歳の時に彫ったもので、像の背面にその経緯が墨書されている。

 

▼三ノ池薬師堂全景、不動明王・薬師如来の真言

 

▼三ノ池薬師堂-岩薬師、薬師堂裏の巨岩群

 

▼薬師寺緑の広場、三ノ池古墳

 

▼ミニ八十八ケ所巡拝所、弘法大師石像と一番(霊山寺)-八十八番(大窪寺)の石仏

 

<文は現地説明板やWebなどより引用した>

 

▶▶▶▶▶▶ 今報了◀◀◀◀◀◀