Vol.998-1/3 R巻頭-110。歴史(観て歩き)レポ-県都編26<源平合戦場跡・六万寺> | akijii(あきジイ)Walking & Potteringフォト日記

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「凡に中なる、これ非凡なり」(論語)、「何事も自分に始まり、自分に終わる。自分を救う道は自分以外ない」(夏目漱石の言葉)を座右の銘に、我流(感性だけ)の写真を添えて日記を綴る。

新居宮池は今

夕焼け空と宮池の水面。

宮池のパーゴラと夕焼け空。

 

 

Akijii-blog頭言Repeat-110  Orignal掲載日:Vol.204 (2013.08.15)

ピンチで、良い想像を

 

人はピンチになると、「冷静になれ!」とアドバイスをする。だが、頭に血が昇っている時は、この忠告はあまり役には立たない。なぜなら冷静に判断するのは理性だが、理性と感情がぶつかったとき理性に勝ち目がないからなのだ。

 

人がピンチに陥ると「この先どこまでひどくなるのか」と、悪い方へ悪い方へと想像が働く。

誰も経験があろうが、特に夜、これにとりつかれると眠れなくなる。

まして、人間の想像は無限大だから、悪い想像も無限大にどんどん広がっていくが、現実は自分が想像していたほどには、どん底まで落ち込まないものである。ピンチになった時どうしたらいいか。

それは「悪い想像を止めて兎に角、良い想像に切り替える」ことである。

 

しかし、ピンチの時に良い想像をするのは難しい注文だ。そこで、普段から心掛けておくべきことが二つある。

一つは、「どんなピンチも絶対に切り抜けられる」と思うことである。

なぜ切り抜けられるのか。

その人に降りかかってくる問題は、いかなる問題であれ、その人自身によって解決できる問題だからである。

言葉を換えれば、「その人に解決できない問題は、その人にはやってこない」のである。

 

二つ目は、「問題の解決は思いがけない形で訪れる」ということである。

すごいピンチで、自分では到底、解決不可能と思える時がある。その種の問題はどう考えても「お手上げ状態」であるかも知れない。しかし、解決策は思いがけない形でやってくる。

思いがけないのだから、その時は思い及ばなくて当然だ。でも必ずやってくる。

 

この二つのことをしっかり頭に入れておけば、ピンチでも良い想像ができるようになる。

このように思うのだ…は、理解できましたか。

 

 

<高くがる空間>

磨屋町の上空。

ココマチ高松アルファレジデンシア(磨屋町)の上空。

高松スクエアビル・東明ビル(古新町)の上空。

ロイヤルガーデン古新町弐番館(古新町)の上空。

右のカルチベートビルと左のダイヤパレス(古新町)の上空。

 

 

A seasonal flower 

◇ウォーキングコースの田圃道に咲くヒメジョオン

 

◇ウォーキングコース脇の畑に咲いていたルコウソウ

 

◇ウォーキングコースの山間に咲くナワシログミ

 

◇近所のYo宅に咲くジュランタ

 

◇新居宮池の遊歩道に咲くランタナ

 

◇アサギマダラの訪れが無かった24/10/29のフジバカマ

 

 

Akijiiままniフォトsketch<石尾八幡宮蜂穴神社 

石清尾八幡宮は、延喜18年(西暦918年)、八幡大神様が亀命山(現在の石清尾山)山上に現れたので、当時の国司が山上に祠を建ててお祀りしたと伝わっています。石清尾(いわせを)八幡宮の社名の由来は、当時社殿があった赤塔山が亀ノ尾山塊の山裾にあたり、石清水八幡宮の「石清水」と「亀の尾」を一つにあわせて「石清尾」になったと言われています。
古来、この周辺は現在の八幡宮近くまで海であり、亀がたくさん這い上がって来ていたことから「亀命山」や「亀阜」など、亀とつく地名が多く見られます。
南北朝時代には、ここ讃岐を治めていた右馬頭(うまのかみ)細川頼之公が当宮への崇敬の念篤く、戦勝祈願を行います。従兄弟の細川清氏を破り、伊予の河野氏征伐が成就したことにより、当宮の社殿を改修し、様々な武具を奉納されました。この時(1364年)に右馬頭市(うまのかみいち)が始まり、現在の市立祭へと繋がります。

天正16年(1588年)は讃岐守、生駒親正公が高松城を造営し城下町を整えた際、当宮を府城の鎮護、高松の産土神と定めました。二代目の生駒一正公も当宮社殿を改築し、社領を寄進されました。

江戸時代に入り、寛永19年(1642年)高松藩主となった松平頼重公も当宮を氏神と篤く崇拝し、寛文6年(1666年)社殿を造営し、社領と多数の宝物を寄進されました。第二代藩主松平頼常公も頼重公の社領寄進を追認し、以後、歴代藩主は代替わりごとに当宮を参拝することになりました。明治5年には「懸社」に列せられました。

不幸にも、創建後320年に及ぶ本殿をはじめ、幣殿、上拝殿の3殿は昭和61年に焼失しましたが、平成元年に氏子崇敬者の浄財により復興されました。また平成6年に神輿舎を新築し、平成8年には拝殿前の石段の傾斜緩和、石畳の修復など大規模な境内改修工事を行いました。以来、高松総鎮守・高松の護り神として多くの人に親しまれ現在に至ります。

(石清尾八幡宮HP)

 

蜂穴(はちあな)神社は、石清尾八幡宮の場外末社。

貞治元年、細川頼之公が伊予の河野氏と戦ったおり、神夢があり戦勝したので、伊予三島大明神を祭ったと言われております。(石清尾八幡宮HP)

 

▼所在地、石清尾八幡宮の鳥居と随神門・下拝殿・上拝殿・本殿

高松市宮脇町:〒760-0005

 

▼石清尾八幡宮の下拝殿、本殿

 

▼蜂穴神社、髪授神詞

 

 

▼バス停「八幡前」で降車、石清尾八幡宮へ向かう(約0.4km)

 

▼次の宮脇町一丁目交差点を左折、宮脇町一丁目交差点の右(東-八幡通り)方向

 

 

▼八幡通りを西方向に進む、石清尾八幡宮の鳥居前に着いた

 

▼石清尾八幡宮の鳥居と随神門・下拝殿・上拝殿・本殿の屋根、石清尾八幡宮-1

 

▼石清尾八幡宮-2

 

▼石清尾八幡宮-3

▼石清尾八幡宮-4

 

▼随神門、石清尾八幡宮-5

 

▼石清尾八幡宮-6

 

▼石清尾八幡宮-7、北門

 

▼石清尾八幡宮-8

 

▼石清尾八幡宮-9、詩情吟魂

 

▼香川県神社庁、恩頼堂

 

▼神馬、随神門を振り返る

 

▼石清尾八幡宮-10

 

▼石清尾八幡宮-11(社務所の方向)、石清尾八幡宮-12(絵馬殿の方向)

 

▼石清尾八幡宮-13(下拝殿)、石清尾八幡宮-14(奥に上拝殿)

 

▼社務所、絵馬殿

 

▼石清尾八幡宮-15

 

▼境内末社-1、境内末社-2

 

▼石清尾八幡宮-16

 

▼境内末社-3、境内末社-4

 

▼石清尾八幡宮-17

 

▼石清尾八幡宮-18

 

▼石清尾八幡宮-19

 

▼石清尾八幡宮-20、絵馬殿-1

 

▼絵馬殿-2

 

▼石清尾八幡宮-21

 

 

▼蜂穴神社・髪授神詞へ向かう(約0.3km)、蜂穴神社・髪授神詞へ進む-1(左上に石碑)

 

▼石碑、蜂穴神社・髪授神詞へ進む-2

 

▼左上に石清尾八幡宮、蜂穴神社・髪授神詞へ進む-3

 

▼右下に高松中心部の景観(中央に香川県庁舎)、蜂穴神社・髪授神詞へ進む-4

 

▼石清尾八幡宮を振り返る、蜂穴神社・髪授神詞へ進む-5

 

▼蜂穴神社・髪授神詞へ進む-6

 

 

▼蜂穴神社・髪授神詞の入口に着いた、蜂穴神社・髪授神詞へ進む-7

 

▼蜂穴神社・髪授神詞が見えて来た、蜂穴神社・髪授神詞に着いた

 

▼蜂穴神社-1、白龍大神

 

▼蜂穴神社-2

▼蜂穴神社-3

 

▼髪授神詞-1

 

▼髪授神詞-2

 

▼蜂穴神社・髪授神詞、蜂穴神社・髪授神詞を後にして西宝町境へ向かう(約0.3km)

 

▼蜂穴神社・髪授神詞の参道を引き返す-1

 

▼蜂穴神社・髪授神詞の参道を引き返す-2、蜂穴神社・髪授神詞の参道口に戻った

 

 

▼西宝町境へ進む-1、擂鉢谷川沿いに蜂穴神社・髪授神詞の案内板

 

▼擂鉢谷川を渡る、宮脇町を西北方向に進む-1

 

▼宮脇町を西北方向に進む-2(前方にJR高徳線路が見えて来た)、JR高徳線路を潜って西宝町へ入る

 

(次報Vol.999に続く)

 

 

<akijii展-(555)

美しい花モチーフの切り絵(ANIMAL FANTASY)シリーズ-03

今報は「アヒル」で、所要時間は330Mでした。

◇完成作品

 

引き続き、Vol.998-2/3をご覧ください。