Vol.973-1/3 R巻頭-85。歴史(観て歩き)レポ-県都編:01<サンポート高松> | akijii(あきジイ)Walking & Potteringフォト日記

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「凡に中なる、これ非凡なり」(論語)、「何事も自分に始まり、自分に終わる。自分を救う道は自分以外ない」(夏目漱石の言葉)を座右の銘に、我流(感性だけ)の写真を添えて日記を綴る。

新居宮池は今

宮池の南側の遊歩道から見る北方向のパノラマ景。

梅雨の合間の好天に恵まれた宮池。

宮池の南側の遊歩道から見る南方向のパノラマ景。

 

 

Akijii-blog頭言Repeat-085  Orignal掲載日:Vol.128 (2012.07.15)

苦を我慢…。

昔は日本も貧しかったせいもあるが、子供が何かをせがんでも親がすぐ買い与えることはなかった。私たちの年代はその体験は嫌というほどした。

のどが渇いた、腹が空いたと、子供が訴えても、今の若い母親のようにすぐ缶ジュースを買い与えたり、ファーストフード店に連れて行ったりはしてくれなかった。

 

そういうとき昔の母親の言うせりふはただ一つ、「我慢おし」に決まっていた。

家に帰るまで、食事の時間まで我慢しなさい、の一言で子供は欲望を抑えさせられたのだった。

また、我慢は次のような使い方もされたと聞く。

 

戦前の日本では、12~14歳でもう働きに出るのだから、今から見たら実に過酷な社会だった。

その仕事はむろんいいものである訳がない。給料は恐ろしく安く、辛い労働条件で我慢しきれず逃げ出す者もいたが、その時の母親が子に言うのは「我慢おし。我慢すればそのうち必ず酬いられるから」であったという。

 

我慢とは辛く苦しい条件にいる者に対して発せられる言葉だったのである。辛さに耐えよ…と。

「若者はなぜ3年で辞めるのか?」という本に、「わがまま」「忍耐不足」という二語が、若者たちが企業から途中下車する理由を説明するキーワードになる、と記述されている。

誰だって苦より楽を求めぬ者はいないが、楽ばかりしていては自分を人間へと鍛える事ができない。

 

「苦あれば楽あり」というが、

この言葉は「苦がなければ楽はない」、「苦を我慢する」が人をつくるということなのだが…???

 

 

<高くがる空間>

新居新池から見る西(城山・大禿山・蓮光寺山)方向の上空。

琴電長尾線の花園第一踏切(観光通2丁目)の上空。

花園第一公園(多賀町)の上空。

多賀神社(多賀町)の鳥居の上空。

 

 

A seasonal flower 

◇ウォーキングコースの山裾に咲くネムノキ(合歓木)

河原や山裾、人家の庭先などでよく見掛ける。

名前の由来は夕方や曇天など暗くなると葉をたたんで垂れ下がり「眠る」ことに由来する。

 

その名のとおり、暗くなると眠る就眠運動(一日の中で葉が開閉したり、上下に動いたりすることをいう)と花の美しさからよく詩歌の題材とされる。 

特に有名なのは芭蕉の「奥の細道」にある名句「象潟や雨に西施(せいし)がねむの花」である。

「西施」とは、中国古代四大美女の一人で、中国の越の国の貧しい家の娘であったが、美人の誉れ高く、越王は呉王のフサに献上した。フサは西施を愛し、ついには国を傾けるに至った話は有名である。芭蕉は、雨に煙る美しいネムの花と、当時の知識人に有名な絶世の美女西施を結び付けて詠った。

 

漢字は「歓びが合わさるのでめでたい木」という中国名「合歓」に由来し、その読みから「コウカ」とも呼ばれる。

花は枝先に10~20個の花が集まった頭状花序を総状につけ、淡い紅白色の花を夕方、開花させる。

花弁は長さ7~9mmで下部が合着し、短毛がある。 

 

◇ウォーキングコースの畑に咲く百日草ジニア

 

 

 

◇ウォーキングコースに咲くルリマツリ

 

◇ウォーキングコースの(黄褐色・光沢化した)小判草-2024.05.10(Vol.964)掲載

 

◇新居宮池の土手に咲くランタナ

 

 

 

Akijii気ままniフォトsketch<JR四高松運 

JR四国高松運転所

予讃線(高松-香西)間に位置する四国旅客鉄道(JR四国)の車輛基地で、列車乗務員(運停士)も所属している。

また、敷地内にはJR四国バス高松支店が併設されている。

日経新聞(2018年9月19日記事)

JR四国は車両基地として同社最大規模の高松運転所(高松市)を刷新する。60の建屋や設備が点在し、多くが耐用年数を上回って老朽化し、運用コストがかさんでいた。施設を集約し、設備も入れ替えて作業の効率性や安全性を高める。

また、研修センターも移設し、乗務員教育を充実させる狙いだ。

約5年間の総事業費は約40億円、2021年3月の完成を見込む。

 

香東川

「こうとうがわ」「ごうとうがわ」ともいう。香川県の代表的河川で、塩江町・香南町・香川町・高松市を貫流する。本流の延長33km、主な支流に内場川と小出川、西谷川などがある。上流の塩江町に1953年内場ダムが完成し、農業用ダムの貯水量においては満濃池に次ぐが、堤高50m・灌漑面積4725haは県下一である。これによって香東川の洪水は止まり、高松平野の日照りの害や高松市の水不足はほぼ解決された。近世以前、香東川は現香川町大野付近で二つに分流し洪水が続発していたのを、寛永(1624‐44)頃に土木事業家:西島八兵衛が、東の分流をせき止めて現流路に固定したといわれるが正確には解らない。

 

▼所在地、JR四国高松運転所

高松市西町:〒760-0003

 

▼JR四国研修センター(動力車操縦車養成所)、香東川と郷東大橋

 

▼香東川とJR予讃線香東架道橋、JR予讃線・瀬戸大橋線の下り/奥の上り架橋線

 

 

▼県道16号線を西に進む(次の交点を左折)、西町に入った-JR四国高松運転所へ向かう(約0.5km)

▼西町を南方向へ進む-1

 

▼西町を南方向へ進む-2

 

▼JR四国高松運転所が見えて来た、西町を南方向へ進む-3(次のT交点を右折)

 

▼西町を西方向に進む-1(左上がJR四国高松運転所)、西町を西方向に進む-2

 

▼西町を西方向に進む-3、左上にJR四国研修センター(動力車操縦車養成所)

 

 

▼一般道からJR四国高松運転所内に入る、JR四国高松運転所内スケッチ-1

 

▼JR四国高松運転所内スケッチ-2

 

▼JR四国高松運転所内スケッチ-3

 

▼JR四国高松運転所内スケッチ-4

 

▼JR四国高松運転所内スケッチ-5

 

▼JR四国高松運転所内スケッチ-6、JR四国高松運転所内から一般道に戻る

 

 

▼西町を西方向に進む-4

 

▼後方のJR四国研修センターを振り返る、西町を西方向に進む-5(正面の堤防に上がる)

 

 

▼堤防から見る香東川と郷東大橋、香東川と郷東町

 

▼堤防から見る香東川とJR予讃線香東架道橋、香東川の堤防から下りた(前方にJR四国研修センター)

 

▼香東川沿いの車道を南西方向に進む-1、JR予讃線・瀬戸大橋線の上り高架橋を潜る

 

 

▼香東川沿いの車道を南西方向に進む-2(左側にJR四国高松運転所)、西側から見るJR四国高松運転所-1

 

▼西側から見るJR四国高松運転所-2

 

▼西側から見るJR四国高松運転所-3

 

 

▼香東川沿いの車道を南西方向に進む-4(JR予讃線・瀬戸大橋線の下り高架橋を潜る-西宝町に入る)、後方のJR予讃線・瀬戸大橋線上下線の高架橋を振り返る

▼香東川沿いの車道を南西方向に進む-5(左の高台に上がる)、高台から見る手前の下り/奥の上り架橋線

 

▼香東川沿いの車道を南西方向に進む-6(右奥に郷東橋)、郷東橋(香東川)-県道33号線

 

▼JR予讃線・瀬戸大橋線の下り/上り架橋線、JR四国高松運転所の給水塔

 

▼郷東橋を潜る-1(歩行者用の横断路が無い)、郷東橋を潜る-2

 

▼郷東橋を潜る-3

 

▼後方にJR予讃線・瀬戸大橋線の下り/上り架橋線、郷東橋を潜る-4

 

▼郷東橋を潜る-5

 

▼郷東橋を潜る-6、郷東橋を潜った(香東川の水面が綺麗!!)

 

▼後方の郷東橋、元の地点に戻る-1

 

▼元の地点に戻る-2

 

▼元の地点に戻った、県道33号線交差点を左折

 

(Vol.973-2に続く)

 

 

<akijii展-(530)

美しい花モチーフの切り絵(ANIMAL FANTASY)シリーズ-02

今報は「熱で、所要時間は260Mでした。

◇完成作品

 

引き続き、Vol.973-2/3をご覧ください。