Vol.966-1/4 R巻頭-78。歴史(観て歩き)レポ-西讃編:11<矢の岡石棺墓/歓喜院> | akijii(あきジイ)Walking & Potteringフォト日記

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「凡に中なる、これ非凡なり」(論語)、「何事も自分に始まり、自分に終わる。自分を救う道は自分以外ない」(夏目漱石の言葉)を座右の銘に、我流(感性だけ)の写真を添えて日記を綴る。

新居宮池は今

陽光を映す宮池の水面。

宮池とオオキンケイギク(大金鶏菊)3景。

 

 

Akijii-blog頭言Repeat-078  Orignal掲載日:Vol.117 (2012.05.20)

…あぶなく候。

 

挫折を知らない人間はいるものである。

子供の時から成績がよく、どこでもトップかそれに近い地位にいて、やがて権力を握って人を使う立場になった人間だ。そういうのは頭も切れ、才知に富み、仕事はできるかも知れないが、人間として面白みに欠ける。

 

自信満々が高じて傲慢になり、他人の痛み、苦しみ、悲しみに対して鈍感なやつが多い。

挫折はイヤなもの、誰だってしたくないが、生きて行く上の成り行きで、人間には失敗がある。

誤まちを犯したり、社会制度の必然から落伍者にされたりする。

ほとんどの人はいつかどこかで挫折を体験し、身の不運を嘆き苦しんだ事があるに違いない。

 

佐賀鍋島藩に伝わる武士の逸話を集めた武士道論とでもいうべき本「葉隠(はがくれ)」の中にある一つが次の言葉である。

 

- - - 誤ち一度もなきものは、あぶなく候。

 

挫折、失敗、恥辱、不面目を一度も犯した事のない者は、他人への思いやりもなく、独りよがりで、危険で使い切れませぬ。と見事な一言である。

挫折を知らずに来た者には、生涯の最後に二度と立ち上がれぬ大挫折が待ち受けている。

 

 

<高くがる空間>

ウォーキングコースの標高70m地点から見るだんご山3兄弟・奥に高松クレーター5座の上空。

本門寿院克軍寺(西宝町)の上空。

妙覚教会・高松最上稲荷(西宝町)の上空。

西方寺境内(西宝町)の上空。

西方寺(西宝町)から見る北東方向の上空。

 

 

A seasonal flower 

◇ウォーキングコースの新居新池のオオキンケイギク(大金慶鶏菊)

 

 

 

◇ウォーキングコース脇に咲くナデシコ

◇ウォーキングコースのK宅の畑に咲くダイアンサスガウラ

 

 

◇ウォーキングコース脇に咲くモモバギキョウ

 

 

Akijiiままniフォトsketch<高野丸山古墳(高野南1号・2号墳)・丹生神社>  

高松平野南部の三谷地区は、弥生・古墳時代以降の遺跡や古墳が数多いところ。さらに律令制下では南海道の「三谿(みたに)駅」が設けられ、地域の中核的役割を担う。前期古墳として三谷石舟古墳があったが、これに続く盟主墳などに次のものがある。

高野丸山古墳(こうやまるやまこふん)は、古墳時代中期の直径40mの円墳です。道路建設等により削平され詳細は不明で すが、古い地籍図から二段築成の可能性が考えられています。さらに古墳周囲に幅10~15mの周濠状の地割が見られ、古 墳南側は堀状となっていますが、北側は堀状にならず外側が一段下がっており、基壇状のテラスと考えられています。 同時期の古墳の中では高松平野で最大級であり、平野南部の盟为墳と考えられます。現在でも地割りにその痕跡を見ることができます。(ふるさと探訪より引用)

高野(こうや)丸山古墳」(高松市川島本町)は、高松平野南部の上佐山から北にのびる低丘陵の先端付近にあった。

径42mの円墳で、幅10-15mの周溝ないし基壇状テラスを示す図面が残る。

5世紀後半の円筒埴輪と須恵器の出土を伝え、当時における地域最大の古墳だが、完全に消滅した。
高野南1号墳」(高松市川島本町)は、高野丸山古墳の南南西約300mに「15m×6m」の盛土が残る。

円筒埴輪が出土し、6世紀前半の築造。「2号墳」が、さらに南西約100mにあったという。(よっちゃんの文明論より)

 

丹生神社(にうじんじゃ)(高野廃寺:こうやはいじ)は、池田町の合子神社の境外攝社で、祭神は淤加美神(おかみのかみ)です。『全讃史』では「里人はむかし七堂伽藍があったので丹生明神を祀っていたが、長宗我部によって焼き討ちされ祠だけが残っていると言っているが誤りで、淳和帝(823~833)が遍照院に喜捨したので、院为の僧が高野明神を迎えて祀り、鬼骨村を高野原と改名したという説が正しい」と推測しています。境内からは白鳳時代から平安時代の古瓦が出土しており、丹生神社周辺の東西150m、南北100mの範囲が高野廃寺に比定されています。(ふるさと探訪より引用)

 

▼所在地、丸山古墳

高松市川島本町:〒761-0442

 

▼高野南一号墳、高野南二号墳

 

▼丹生神社、高野廃寺跡

 

 

▼川島東町から川島本町へスケッチを続ける(高松市川島本町交差点を左折)、県道12号線を西に進み丸山古墳へ向かう(約0.8km)

 

 

▼県道12号線を西に進む-1(左側の川島地蔵尊に寄る)、川島地蔵尊-1

 

▼川島地蔵尊-2

▼川島地蔵尊-3

 

 

▼県道12号線を西に進む-2

 

▼県道12号線の北側の「香川県立高松東高校・川島分校之跡」石碑、県道12号線を西に進む-3

 

▼県道156号線交差点の標識、県道12号線を西に進む-4(県道156号線交差点)

 

▼県道156号線交差点の右(北-由良山)方向、県道156号線交差点の左(南-上佐山)方向

 

▼県道12号線を西に進む-5

 

▼左(南)奥に上佐山、右(北)奥に由良山

 

▼左側の道は帰路に使う予定、県道12号線を西に進む-6

 

▼県道12号線を西に進む-7

 

▼県道12号線を西に進む-8

 

▼県道12号線を西に進む-9(左の小径へ入る)、丸山古墳へ進む

 

 

▼丸山古墳の石標が見えて来た、丸山古墳に着いた

 

▼丸山古墳-1

 

▼丸山古墳-2

 

▼丸山古墳-3

 

▼丸山古墳の円墳跡へ進む、県道12号線を横断

 

▼丸山古墳の円墳跡-1

▼丸山古墳の円墳跡-2、丸山古墳の石標の位置に戻る-1

 

(Vol.966-2/4に続く)

 

 

<akijii展-(523)

美しい花モチーフの切り絵(ANIMAL FANTASY)シリーズ-02

今報は「フラミンゴ」で、所要時間は135Mでした。

◇完成作品

 

引き続き、Vol.966-2/3をご覧ください。