新居宮池は今
高台から見る宮池の全景。
親水公園越しに見る宮池2景。
遊歩道の東側から見る宮池のパノラマ景。
遊歩道の北西端から見るだんご山3兄弟と宮池水上展望台。
Akijii-blog巻頭言Repeat-065 Orignal掲載日:Vol.097 (2012.02.10)
将来から現在を考える…。
経営は常に将来を頭の中に置いて進めなければいけない。
五年後は、十年後にはどうなるか、またこうしたい、という思いがないといけない。
その上で、将来から現在を考え、今どうしたらいいのかを考える。
こういう順番が、経営者の発想というものだ。
将来のことを考えれば、これはやらなければいけないと思い至る。
実行が困難なものも出て来るが、難しいから出来ないでは、将来の目標を実現することは出来ない。なんとしても目標を実現したいと願うならば今、一見できなさそうな事も、どうしたらできるのかを考える。
断古やると決心し、解決する知恵を出し、努力をしなければいけない。経営とは、もともと簡単なものではない。難しいから出来ないと言っていたのでは、経営は成り立たない。
出来難い事を出来るようにする。出来るために工夫をしていく。それが経営と言うものである。
何としても成長・発展させなければいけない。
経営者は常に将来を考えて、そこから現在をどうするか、今どのような手を打つべきかを考えなければいけない。
その順番を間違えて、今を考えてから、その延長線上に将来を考える会社は結局、成長しないものである。
<高く広がる空間>
セトラ高松とホテルパールガーデン(福岡町)の上空。
高松競輪場(福岡町)の上空。
旧香川県体育館(福岡町)の上空。
A seasonal flower
ウォーキングコースのY宅に咲くボケ
杉山団地の蓑坂池の土手に咲く黄水仙
杉山団地のD宅に咲くシレネとプリムラ
de宅とse宅の白木蓮(24.03.13時点)
3月下旬(Vol.955)には満開になるだろう。
Akijii気ままniフォトsketch<鹿ノ井出水・鹿ノ井熊野権現>
高松市太田下町の熊野神社の北側にある鹿の井出水には次のような言い伝えがあります。
保安三年(1122 年)、讃岐の国は大日照りに見舞われ、飲み水にも事欠くようになりました。人々は何度も雨乞いをしましたが、一滴の雨も降らずに困り果てていました。そんなある日、居石(おりいし)神社に白髪、白髭の見慣れない老人が現れ、不思議そうに眺める村人たちの前で、突然一匹の鹿に姿を変えて走り出したので、村人たちが驚いてその後を追ったところ、鹿は桃の木のそばで立ち止まって前足で土を掘り、どこへともなく走り去りました。すると、鹿が土を掘ったところから、こんこんと清水が湧き出て、村人たちは大喜びで喉を潤したということです。この湧き水は「鹿の泉」と呼ばれ、飲み水やかんがい用水として大切にされてきましたが、近年、高速道路の建設や都市区画整理により急速に都市化が進行する中で荒廃が進んできました。そこで、街中に残っている古き良き施設を後世に伝えるために、平成10 年度に魅力ある農村(むら)づくり事業で、「鹿の井出水」地区として176m区間を石積み護岸に改修し、あわせて遊歩道、休憩所などが整備されました。鹿の井出水は、街中のオアシスとして地域の人々に利用されるとともに、今でも太田、伏石、 下多肥の水田の補助水源として活用されています。(香川県HP)
鹿ノ井熊野権現は、昔、太田の村に、はやり病が広がり。子どもや大人、年寄りまでもが次々と死んでいった。
困り果てた村人たちは、紀伊の熊野大権現にお参りして助けを請うた。やがてある日、三本足のヤタガラスが鹿ノ井の森に降り立った。ヤタガラスは、熊野大権現のミサキ神(神の使い)で、人の難儀を救う化神だといわれている。村人たちは、早速社を建ててお祈りした。恐ろしかったはやり病も、いつの間にか消え失せ、ふたたび村に明るさが戻ってきた。
▼所在地、鹿ノ井出水
高松市太田下町:〒761-8073
▼鹿ノ井出水の水神様、鹿ノ井熊野権現
▼多肥下町から太田下町に入る(サンフラワー通り交差点を右折)、サンフラワー通りを北に進み鹿ノ井出水へ向かう(約0.3km)
▼サンフラワー通りの南(県道147号線)方向、サンフラワー通りを北へ進む-1
▼サンフラワー通りを北へ進む-2
▼左側に鹿ノ井出水の転落防止柵、サンフラワー通りから見る鹿ノ井出水
▼鹿ノ井出水で泳ぐ鯉、鹿ノ井出水の散策に進む-1
▼鹿ノ井出水の散策に進む-2、鹿ノ井出水からサンフラワー通りを見る
Vol.953-2/4に続く
<akijii展-(510)>
スクラッチアート(日本の城めぐり6点)
今報は「松山城(愛媛県松山市)」で、所要時間は540Mでした。
◇完成作品
引き続き、Vol.953-2/4をご覧ください。