Vol.951-1/3 R巻頭-63。歴史(観て歩き)レポ-中讃編:38<宇多津の町家(屋)> | akijii(あきジイ)Walking & Potteringフォト日記

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「凡に中なる、これ非凡なり」(論語)、「何事も自分に始まり、自分に終わる。自分を救う道は自分以外ない」(夏目漱石の言葉)を座右の銘に、我流(感性だけ)の写真を添えて日記を綴る。

新居宮池は今

遊歩道の東南から見る宮池のパノラマ景。

パーゴラから見る宮池のパノラマ景。

降り注ぐ夕陽を映す宮池の水面。

宮池の南側の遊歩道から見る360度のパノラマ景。

 

 

Akijii-blog頭言Repeat-063 Orignal掲載日:Vol.095(2012.01.30)

革袋も常に補修と補強を。

先日、読んだ本の一部分を抜粋したので、紹介します。

 

「故(ふる)きを温(たず)ねて新しきを知る」といわれている。だが、自分の持っている古いものは、そのままでは役に立たない。時代の流れに沿った新しい考え方に従って解釈したり応用したりしていく巧妙さが必要である。すなわち、温故知新は、若い人に対する心構えとして推賞すべきものである。

年を取った者としては、「新しいぶどう酒は新しい革袋に入れるものだ」という聖書の言葉こそ、座右の銘として拳拳服膺(けんけんふくよう)するべきである。新しい酒は発酵する力が強いので、古くて弱くなった革袋では破れてしまう。せっかくの酒も流れてなくなる。酒と革袋の双方が無駄になるのだ。

 

革袋も常に補修したり補強したりして、新しい時代の流れを少なくても理解したうえで、支えたり修正したりする必要がある。すなわち、生きていこうとする限りは、新しいものに関心を抱いていくのである。

そのためには、絶え間なく勉強をしなくてはならない。

年を取ったら、将来はそれほど大きく広がっていく必要はないが、先にある光を見失ってはならない。

自分にある程度の知力が備わっていると思っていても、その有用性は時代の推移とともに変わっていき、少なくなっていく。自分自身は十分な知力の備えがあると考えていても、それは自分の主観的な観測でしかない。

知力の価値は維持しつづけていると思っても、客観的な角度から見ると、それは実際には低下の一途をたどっていっている。その点に関する認識を誤ってはならない。勉強をするという意欲は持ち続ける必要がある。

 

穏やかで充実した日々を続けるエキスか、と想ったしだいである。

 

 

 <高く広がる空間> 

宮脇書店総本店(宮脇カルチャースペース)(朝日新町)の上空。

高松港コンテナターミナル(朝日新町)の上空。

朝日新町から見る高松シンボルタワーの上空。

高松港(朝日新町)に入港中のLNGタンカーの上空。

 

 

A seasonal flower 

◇ウォーキングコース脇の盆栽神社の寒緋(かんひざくら)

バラ科の落葉低木で1~3月頃、葉より先に、濃紅色の花が半開きに下を向いて咲く。

暖地性の桜で、鮮やかな濃いピンク色の花なのでとても目立つ。

 

1月下旬頃、「沖縄で、全国初の花見」とのニュースがあるが、ここでいう花見の花はこの「寒緋桜」のことである。沖縄は温暖なので、ソメイヨシノ桜などの育成が難しく、寒緋桜なら育つらしい。

 

別名は「緋寒桜(ひかんざくら)」。これとは別に「彼岸桜(ひがんざくら)」という花があり、そちらとは「か」と「が」の違いだけになり間違えやすいので、混同を避けるために、”緋寒”の方を”寒緋”にひっくり返して「寒緋桜」の呼び方に変えた、という経緯があるという。

 

◇ウォーキングコースの満開の蠟梅

 

◇ウォーキングコース脇のO宅の庭のクリスマスロ雲南(ウンナンオウバイ)

 

◇ウォーキングコースの満開の沈丁花ヒマラヤユキノシタ

 

  

 

Akijii気ままniフォトsketch<廣田八幡神社・太田天満宮>

廣田八幡神社は、かつて夜暗い中、神社に帰る神主を参道まで提灯を持って迎えにくる雌狸(お梅)がいた。お梅は何代にも渡り目撃されたため、神社に住む化け狸ではないかという伝説がある。この伝説からたぬきの里として街おこしの根幹を担っている。秋祭りには地域のたぬきの里祭り(太田南秋祭り)が合同開催され、たぬきの仮装行列なども見所である。

御朱印のデザインには、しっかりとたぬきさんが入っています。

社叢は昔からの鎮守の森として神々と自然と人々の交流の場であり、憩いの場であり続けています。人々は畏敬の念をもって、この自然を守り続けてきました。幼稚園や小学校の遠足でもよく利用され、地元の人に愛されてきた神社です。

太田天満宮は、学問の神様である菅原道真を祀る。
由来は定かではないが、大田村古地図から、明治18年(1885)にはこの地にあったことがわかる。現在の社は昭和62年(1987)に建て替えられたもので、それまでは東向きだった。境内では太平洋戦争後もしばらくの間、しばしば芝居が行われ、近隣の農民の娯楽であった。(境内の案内板より)

 

▼所在地、廣田八幡神社の参道口

高松市太田上町:〒761-8074

 

▼廣田八幡神社、太田池

 

▼太田天満宮、太田百華幼稚園

 

 

▼国道193号線(鹿角町)の鹿角交差点へ向かう(約0.6Km)、国道193号線(鹿角町)を北方向に進む-1

 

▼国道193号線(鹿角町)を北方向に進む-2、県道147号線交差点を直進横断

 

▼国道193号線(鹿角町)を北方向に進む-3

 

▼バス停「香大附属中学校前」を通過、左(西)に香大附属高松中学校-1

 

▼左(西)に香大附属高松中学校-2、香大附属高松中学校ズーム景

 

▼国道193号線(鹿角町)を北方向に進む-4、県道171号線交点の標識

 

▼鹿角交差点に着いた(右折して県道171号線へ入る)、県道171号線を東方向に進み廣田八幡神社へ向かう(約0.9Km)

 

▼県道171号線を東方向に進む-1、古川橋(御坊川支流古川)を渡る

 

▼県道171号線を東方向に進む-2

 

▼県道171号線を東方向に進む-3、左奥に廣田八幡神社の社叢-1

 

▼左奥に廣田八幡神社の社叢-2

 

▼県道171号線を東方向に進む-3、太田上町に入った

 

▼左奥に廣田八幡神社の社叢-3、県道171号線を東方向に進む-4

 

▼県道280号線との信号交差点を左折、県道280号線を北方向へ進む-1

 

▼バス停「太田」を通過、県道280号線を北方向へ進む-2

 

▼廣田八幡神社の参道口、廣田八幡神社の参道を進む-1

 

▼廣田八幡神社の参道を進む-2

 

▼廣田八幡神社の参道を進む-3、廣田八幡神社の鳥居の扁額

 

▼廣田八幡神社の参道を進む-4

 

▼廣田八幡神社の参道を進む-5、廣田八幡神社の入口に着いた

 

▼廣田八幡神社-1

 

▼廣田八幡神社-2

 

▼廣田八幡神社-3

 

▼廣田八幡神社-4

 

▼廣田八幡神社-5

 

▼廣田八幡神社-6

 

▼廣田八幡神社-7

 

▼廣田八幡神社-8

 

▼廣田八幡神社-9

 

▼廣田八幡神社-10

 

▼廣田八幡神社-11

 

▼廣田八幡神社-12

 

▼廣田八幡神社-13

 

Vol.951-2/3に続く

 

 

<akijii展-(508)

スクラッチアート(日本の城めぐり6点)

今報は路城(兵庫県路市)で、所要時間は570Mでした。

◇完成作品

 

引き続き、Vol.951-2/3をご覧ください。