Vol.927-2/3に続けてご覧ください。
<22.大麻神社> <撮影:2016.08.12 and 2017.09.29>
大麻・琴平・十郷線が琴平町に入る手前、JR土讃線の線路を渡り西に入ったところに大麻(おおさ)神社があります。この神社は、今から1900年あまり前の景行天皇の時代、忌部(いんべ)氏が付近を開拓して麻を植え、祖先神の天太玉命(あまのふとだまのみこと)を祀ったのが始まりだと伝えられています。
延喜式(えんぎしき)にも名を残す古い神社で、戦国時代に兵火で社殿を焼失しましたが、寛文元年(1661年)、丸亀藩の京極高和が再建しました。以来、京極家に崇敬されてきました。
主神の天太玉命座像と、彦火瓊々杵命(ひこほのににぎのみこと)座像は、国の重要文化財に指定されています。
天太玉命座像は檜材の一木造りで肩をいからせ怒った表情をしていて、彦火瓊々杵命座像は楠材の一木造りで穏やかな顔をしています。作者は異なると思われますが、ともに平安後期の作です。
また、約7,800平方mの広大な社叢はシリブカガシを主体に蔓性植物やシダ植物が加わったもので、県の自然記念物になっています。 (善通寺市HP)
<所在地・外観>
▼大麻神社-善通寺市大麻町239
▼大麻神社-讃岐忌部の氏神、県内古例(これい)に属する神像
JR琴平駅(ことでん琴平駅)から県道207号線を西へ行き、県道208号線殿交点を右折して県道208号線を北西方向に約1km進むと、「大麻神社」の参道口に着く。
▼金倉川沿いに北上
▼左方向に大麻山が見える、金倉川に架かるJR土讃線鉄橋を普通電車が通過
▼県道208号線沿いの小道を進む
▼県道208号線に出て北上、琴参バス-大麻神社前に着いた
▼参道口、社号標と一の鳥居
<概 要><歴史遺産>
大麻神社は、忌部(いんべ)氏(平安時代初期に斎部いんべ氏と改姓)の祖先神天太玉(あまのふとだま)命を主祭神とする、「延喜式」式内社である。
▼御旅所、忠魂碑
▼参道、参道と社頭-1
▼参道と社頭-2
▼参道のニの鳥居
▼石段から神門を見上げる、随神門
▼随神門の随神
▼三十六歌仙
▼拝殿
▼社名額、由緒略記
▼延喜式内社の額、延喜式内二十四社誌
▼本殿
▼境内、境内社(白玖祖霊社)
▼石祠
▼社殿
▼水琴窟、社叢の説明板
大化改新以前から朝廷の祭祀を担当した忌部氏は、幣帛(へいはく)(神前の供物)に必要な木綿(ゆう)(穀かじ・楮こうぞなどの靭皮じんぴ繊維でつくった白い糸)や麁布(あらたえ)(木綿で織った布)、大麻布(たいまふ)、粟(穀物の総称)などを調達するため、地方に分散して栽培・製造の技術を伝えた。
大和(現、奈良県)から淡路島を経て阿波(現、徳島県)に渡った阿波忌部が、吉野川を遡って讃岐西部に移住したのが讃岐忌部とされ、大麻山の東南麗には大麻、西麗には麻(あさ)、西南麗には佐文(さぶみ)(麻積あさぶみの転訛てんか)という地名がある。
▼地名(大麻・麻・佐文)
讃岐忌部は、平安時代初期には祭祀用の矛竿(ほこざお)を毎年800竿(かん)貢納(こうのう)している(「古語拾遺(こごしゅうい)」)。
「木造天太玉命坐像」は、憤怒(ふんぎ)の相を、相殿(あいどの)に奉祀される「木造彦火瓊々杵(ひこほににぎ)命坐像」(ともに国重文)は、沈思(ちんし)の相をしており、作者は別であると考えられるが、いずれも本県では古例に属する平安時代後期の神様である。
▼木造天太玉命坐像、木造彦火瓊々杵命坐像(web引用-水彩画風変換)
<文は現地説明板やWebなどより引用した>
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