Vol.926-3/3 R巻頭-38。歴史(観て歩き)レポ-中讃編:13<善通寺> | akijii(あきジイ)Walking & Potteringフォト日記

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「凡に中なる、これ非凡なり」(論語)、「何事も自分に始まり、自分に終わる。自分を救う道は自分以外ない」(夏目漱石の言葉)を座右の銘に、我流(感性だけ)の写真を添えて日記を綴る。

Vol.926-2/3に続けてご覧ください。

 

<関連遺産-1>

駐車場前の「香色山公園」の山頂には、江戸時代に発見されたもの(石仏背面に記録が刻まれている)や近年の発掘調査で発見された、全国初の上下2段の方形石組構造(2世代型)のものも含め、平安時代後期の「経塚」4基(県史跡)が確認されている。

 

▼香色山ミニ88箇所参拝案内板、香色山の登山口

 

▼香色山山頂への石段、山頂の時代物の石仏

 

▼経塚-1

 

▼経塚-2

 

 

<関連遺産-2>

また山麓を取り巻くミニ八十八カ所の石仏は、香川氏の旧家臣の子孫が、1586(天正14)年の豊臣秀吉の九州征伐に際し、仙石秀久軍に編入されて豊後(現、大分県)戸次川で島津勢に敗れて戦死した先祖の200回忌追善供養を機に、1798(寛政10)年に造立したものである。

 

▼五智院に着いた、五智院の境内

 

▼三千日以上達成者掲示版、ミニ四国八十八ケ所巡拝道の入口

▼ミニ八十八カ所の石仏-1(徳島県)

 

▼ミニ八十八カ所の石仏-2(高知県)

 

▼ミニ八十八カ所の石仏-3(愛媛県)

 

▼ミニ八十八カ所の石仏-4(香川県)

 

 

<関連遺産-3>

朱塗りの東門(赤門)前の赤門筋商店街は、旧陸軍第十一師団設置に伴い軍用の店が並んだのが始まりで、門前の「善通寺市立郷土館」では旧練兵場遺跡や王墓山古墳、天霧城跡などの出土遺物や民具が公開されている。

 

▼赤門、赤門筋商店街-1

 

▼赤門筋商店街-2

▼善通寺市立郷土館

 

 

<関連遺産-4>

さらに東の本郷通りに出ると、1937(昭和12)年築の和風建築で鏝絵(こてえ)が見事な「大川商店」(和風建築)があり、隣接する洋風の新屋との和洋鹿館並列型の住宅(国登録)となっている。

 

▼本郷通り

 

▼大川商店と新屋、大川商店-1

 

▼大川商店-2、新屋

 

 

<関連遺産-5>

赤門の北約200m、日露戦争時に傷病兵を収容した陸軍予備病院第2分院跡に立つ「四国こどもとおとなの医療センター」とその東の「農業研究センター」の地は、四国最大級の弥生集落遺跡の「旧練兵場遺跡」である。瓷棺(かめかん)や線刻人画の石棺、近年には徳島県の名東型銅鐸破片や新潟県の糸魚川産の翡翠で造られた勾玉、九州産土器などが出土し、その交流圏が注目された。

 

▼四国こどもとおとなの医療センター

 

▼西日本農業研究センター

 

▼旧練兵場遺跡-遺跡群、人骨(web引用)

 

▼旧練兵場遺跡-片口皿、銅鏃(web引用-水彩画風変換)

 

 

<関連遺産-6>

農業研究センターの農場東南隅から南側一帯が、白鳳期から平安時代後期の「仲村廃寺跡」(伝導寺跡)で、佐伯氏の氏寺とされ、東南隅の交差点近くの墓地の墓石の台に用いられている数個の石がその礎石とみられている。

 

▼仲村廃寺(伝導寺)跡:墓地-1

 

▼仲村廃寺(伝導寺)跡:墓地-2

 

<文は現地説明板やWebなどより引用した>

 

▶▶▶▶▶▶ 今報了◀◀◀◀◀◀