Vol.926-1/3に続けてご覧ください。
さぬき歴史(観て歩き)フォトレポ-中讃編:13<善通寺>
<20.善通寺> <撮影:2015.10.30 and 2017.07.29>
善通寺(ぜんつうじ)は、真言宗善通寺派総本山。屏風浦五岳山誕生院と号する。
本尊は薬師如来。四国八十八箇所霊場の第七十五番、真言宗十八本山一番札所。
和歌山県の高野山、京都府の東寺と共に弘法大師三大霊場に数えられる。
平安時代初頭の807年に真言宗開祖空海の父である佐伯善通を開基として創建された。
伽藍は創建地である東院と、空海生誕地とされる西院(御誕生院)に分かれている。 (Wikipediaより)
<所在地・外観>
▼善通寺-善通寺市善通寺町3-3-1
▼善通寺-空海生誕の寺、高さ全国3位の五重塔
JR善通寺駅から県道209号線を西南へ約1.2km進み、右折すると四国八十八個所霊場75番札所の「善通寺」の南大門(国登録)に着く。
<概 要><歴史遺産>
▼JR善通寺駅、県道209号線-1
▼県道209号線-2(四国学院大学前)、突き当り右折
▼善通寺が見えて来た、南大門に到着
南大門は日露戦争戦勝記念に建立され、軍都の寺らしく乗馬のまま境内に入れる薬医門(やくいもん)形式である。
▼南大門
善通寺は空海(弘法大師)の生誕地にあたり、東西2院の寺域(約4万5000m2)は四国では最も広く、伽藍と呼ばれる「東院(とういん)」(「善通寺旧境内」として県史跡)が創建時の寺域である。
▼全体の配置図
空海が唐から帰国した翌年の807(大同2)年、長安の青龍寺を模して起工し、父の諱(いみな)(善通よしみち)を寺名にしたと伝えるが、白鳳期から奈良時代の古瓦が出土している事などから、この地には佐伯氏の氏寺が有り、空海がそれを修造したものか、または氏寺の伽藍配置(四天王寺式)を想定して創建したものとみられている。
堂搭伽藍は戦国時代末期(16世紀後半)に焼失したが、「金堂」(国重文)は1699(元禄12)年に再建され、飾り屋根の裳階(もこし)を巡らせ、軒下の組物や瓦を敷いた床の形状に禅宗様の本格的な造りが見られる仏殿であり、基壇には各種の礎石が転用されている。
▼金堂(本堂)
▼金堂の飾り屋根の裳階、基壇の礎石
「五重塔」(国重文)は、1840(天保11)年に雷火で焼失した後の再建で、1854(安政元)年に起工し、相輪まで完成したのは1902(明治35)年であった。高さ45.2mの塔は、木造では京都の東寺、奈良の興福寺に次ぐ全国3位の大塔で、江戸時代後期の日光東照宮五重塔など、全国で数例しかない懸垂工法(心柱を上部から鎖で吊り下げ、礎石から浮かせる)に寄って屋頂の露盤部に隙間が生じないようにしている。
▼寺域外から見る五重塔
▼五重塔
▼相輪、露盤
常行堂(「釈迦堂」、国登録)は、天保年間(1830~44)の御影堂新築に際して旧御影堂を移したもので、眼鏡灯籠2基は善住木食上人の護摩堂の前にあった。
▼常行堂(釈迦堂)
▼眼鏡灯籠
東南隅の「利生搭」は、宥範が建てた五重塔(足利尊氏・直義兄弟が国ごとに建立を命じた利生搭にあてられた)が、戦国時代に焼失した後におかれ、その横の「逆修搭」とよぶ五輪塔は1207(建永2)年、讃岐に配流された法然が寺を訪れ、死後の冥福を祈る逆修供養を行って建てたものと云う。
▼利生搭、逆修搭
2本の「善通寺境内の大グス」(県天然)は、空海幼少時にすでに茂っていたと、その著「三教指帰」にあり、幹回りでは志々島(三豊市)のクスにつぐ本県2・3位の巨樹である。
▼大グス
誕生院の建立は、鎌倉時代中期の1249(建長元)年である。
鎌倉新仏教の台頭に対し、高野聖が難解な真言密教を大師信仰(御影信仰)に易しく置き換えて庶民への教線拡大を図っていた時期で、生誕地(母の館跡)を大師の霊跡としたものである。
▼誕生院(西院)の配置図、大師誕生の聖地
ここには空海が入唐前に自ら描いたという大師画像が伝えられ、1209(承元3)年に土御門天皇が拝覧した時、瞬いたと言う事から、「瞬目(めひき)大師」との称を賜ったと云われる。現在の御影画像は、画像の転写が盛んに行われた鎌倉時代以降の制作とみられている。御影画像は御影堂奥殿の本尊であり、50年ごとの大師遠忌や特別な年に開帳される。(前回は2006(平成18)年の創建1200年祭)。
▼御影堂(大師堂)
御影堂の下は暗闇の「戒壇巡り」となり、左奥の宝物館では「木造吉祥天立像」(平安時代後期、国重文)や「木造地蔵菩薩立像」(平安時代後期、国重文)などが公開されている。
▼木造吉祥天立像 の書(web引用)、木造地蔵菩薩立像(web引用-水彩画風変換)
空海が青龍寺の恵果阿闍梨(けいかあじゃり)から伝授されたもので、中国唐代の錫杖としては日本唯一の「金銅錫杖頭」(国宝)や装飾経の「一字一仏法華経序品)」(藤原時代中期、国宝)、「善通寺伽藍 幷 寺領絵図」(鎌倉時代後期、国重文)、「木造毘沙門天立像」(平安時代中期、県文化)、「仏説観仏三昧海経巻第六」(県文化)は非公開である。
▼金銅錫杖頭、一字一仏法華経序品(web引用-水彩画風変換)
▼善通寺伽藍幷寺領絵図(web引用-水彩画風変換)
▼木造毘沙門天立像、仏説観仏三昧海経(web引用-水彩画風変換)
引き続き、Vol.926-3/3をご覧ください。







































