Vol.924-2/3に続けてご覧ください。
<18.盛土山古墳> <撮影:2017.08.09>
古墳時代中期に築造された円墳で、直径約45m、2段築成で埴輪を備える。葺石は確認されていない。
墳丘の周りを2重の堀がめぐる。墳頂部にある組合式の箱式石棺から出土した銅鏡や勾玉(6~7cm位のビッグサイズ)は東京国立博物館に収蔵されている。千人塚、かんす塚とも呼ばれている。
築造時期は5世紀末と推定され、墳頂から組合式の箱式石棺が見つかっており、銅鏡や勾玉などが出土しました。
1976( 昭和51)年県指定史跡に指定。出土品は東京国立博物館にて保管。 (多度津町観光協会HPより)
<所在地・外観>
▼盛土山古墳-仲多度郡多度津町奥白方121
▼盛土山古墳-副葬品が多数出土した大型円墳
林求馬邸から北原の三差路まで戻り、突き当りを右に曲がり、約200m南に行くと県道205号線に出る。
▼林求馬邸から盛土山古墳へ向かう、上池と下池の右側を通る
▼左に下池・右は柏池、左は下池
▼右は北原地区の眺望、左側へ入る(右側は県道205号線)
▼北原の三叉路へ進む、北原の三叉路に戻った
▼県道205号線の交点へ、県道205号線の交点を左折
県道205号線を東北に約600m行くと、田圃の中に「盛土山(もりつちやま)古墳」(県史跡)が見える。
<概 要><歴史遺産>
案内板も立てられて整備されている。
▼県道205号線を東北へ進む
▼盛土山古墳へ横断する、盛土山古墳の説明板
▼盛土山古墳-北から全景、文化財以前のぶどう畑(Web引用)
2段築成で2重の周濠(しゅうごう)(溝)をもつ大型の円墳で、5世紀末の古墳と考えられている。
1915(大正4)年、開墾中に墳頂部で長さ2.0m・幅0.8mの箱式石棺が見つかった。
墳丘は径約35m・高さ約6mだが、かつては径約48mで有ったと云う。
▼盛土山古墳-一段目から南方向、西北方向
▼盛土山古墳-墳頂部から西南方向、北西方向
▼盛土山古墳-墳頂部から南方向、東北方向
▼盛土山古墳-墳頂部から向井原古墳、豊稔堰
棺内からは銅製の四神四獣鏡(ししんしじゅうきょう)、硬玉(こうぎょく)製の長さ日本一大きな勾玉(まがたま)、トンボ玉、銅製鈴などが出土しており、副葬品のわかる県内でも数少ない古墳である。
出土品は現在、東京国立博物館に所蔵されている。
<関連遺産>
盛土山古墳から見ると、南西約250mの尾根の丘陵に「向井原(むかいばら)古墳」が有る。
横穴式石室のある後期古墳で、銀環(ぎんかん)・鉄刀などの出土品は、東京国立博物館に所蔵されている。
▼県道205号線を西南へ進む、左側にブドウ畑
▼次を左折、向井原古墳へ向かう
▼向井原古墳-標柱を発見:民家の左側が古墳入口、向井原古墳の標柱
▼古墳が位置する葡萄園に入らせて貰う、葡萄園の中を進む
▼葡萄園の中に古墳を発見、葡萄園と向井原古墳
▼向井原古墳-開口部、玄室
▼向井原古墳-玄室の左側、右側
▼向井原古墳-玄室の天井部、玄室から見る開口部
多度津町白方周辺には、そのほかに前方後円墳や円墳があったが、ブドウ畑などに開墾され、削られたりしたため、一部消滅のものもある。
また、海岸寺奥の院裏山の墓地公園の上に、基底部のみが残されている全長40mの前方後円墳「御産盥山(みたらいやま)古墳」がある。
▼墳御産盥山古墳(Web引用-水彩画風変換)
<文は現地説明板やWebなどより引用した>
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