Vol.914-2/4に続けてご覧ください。
<02.金刀比羅宮> <撮影:2012.10.26 and 2016.05.14>
神仏習合により真言宗の象頭山松尾寺金光院となり、象頭山金毘羅大権現と呼ばれた。
明治維新の際に神仏分離・廃仏毀釈が実施されて、神社本庁包括に属する別表神社、宗教法人金刀比羅本教の総本部となった。全国にある金刀比羅神社、琴平神社あるいは金比羅神社の総本宮である。
海上交通の守り神として信仰されており、漁師、船員など海事関係者の崇敬を集める。
時代を超えた海上武人の信仰も篤く、戦前の大日本帝国海軍の慰霊祭だけではなく、戦後の日本特別掃海隊(朝鮮戦争における海上保安庁の掃海)の殉職者慰霊祭も毎年、金刀比羅宮で開かれる。
境内の絵馬殿には航海の安全を祈願した多くの絵馬が見られる。
金毘羅講に代表されるように古くから参拝者を広く集め、参道には当時を偲ばせる燈篭などが今も多く残る。
長く続く参道の石段は奥社まで1368段ある。例大祭に合わせて毎年、石段を利用した「こんぴら石段マラソン」が開かれている。かつては、金刀比羅宮と倉敷市にある由加山(蓮台寺、由加神社本宮)の両方を参拝する両参りという習慣があったといわれている。 (Wikipediaより)
<所在地・外観>
▼金刀比羅宮-仲多度郡琴平町892-1
▼金刀比羅宮-庶民信仰のメッカ
「金刀比羅宮」への参詣者の多くが歩く神明町は、1889(明治22)年に完成した新道で、同年開通の讃岐鉄道(全国7番目の私鉄)の駅舎がホテル琴参閣の地に出来た事から、旅館やみやげ物店が並んだ。
<概 要>
JR琴平駅前から大宮橋を渡り神明町に至る道は、駅舎の現在地への移転に伴い、1923(大正12)年に新設された。
▼象頭山の全景、象頭山の麓
▼JR琴平駅、参道口へ・前方に象頭山
▼大宮橋を渡る、参道口へ左折
参道口には備前屋、虎屋など、かつての名館や蔵元の象徴の酒林(さかばやし)(スギの葉を球状にしたもの)を吊るした西野金陵が並ぶ。
▼西野金陵、参道店舗-1
▼参道店舗-2、石段の登り口・金毘羅名物の「かご」
参道を進むと、「象頭山(ぞうずさん)」(538m、国名勝・国天然)中腹の本社まで、785段の石段が迫る。
▼1つ目の石段、168段が直ぐそこ
▼294段・御本宮まで491段、現在地案内
<歴史遺産>
石段を上がると、札の前(ふだのなえ)で、牛屋口(うしやぐち)(御使者口おししゃぐち)からの伊予土佐街道が合流し、ここから大門(おおもん)までが江戸時代初期の門前町である。
▼牛屋口、街道のはなし説明
▼68基の石灯籠、龍馬像
▼牛屋口の地名板、金刀比羅宮参道へ-1
▼旧伊予土佐街道の説明、伊予土佐街道の地名板
▼金刀比羅宮参道へ-2、金刀比羅宮参道へゴールのakijii
「大門(おおもん)」は2層入母屋造、1649(慶安2)年に再建された旧二王門で、左前方に1844(天保15)年改築の鼓楼がある。右下の「銅灯籠」(国民俗)は、1895(明治28)年、最上川上流の山形市民約450人の奉納で、歌人斉藤茂吉の実父守谷傳右衛門の名も見え、立石寺(りっしゃくじ)(山寺)奥の院(山形市)、金華山黄金山神社(宮城県涌谷町)の銅灯籠と同じ鋳造人の作である。
▼大門-1
▼大門-2
▼銅灯籠
大門を抜けると神域となる。傘を広げて飴を売る5店は「五人百姓(ごにんびゃくしょう)」といい、境内での販売を特別に許可され、神事にも携わる家である。
▼「5人百姓」飴
和洋折衷の「宝物館」(国登録)は、1905(明治38)年築造の地方初の博物館建築である。
▼宝物館-1
▼宝物館-3
「高橋由一(ゆいち)館」では、近代洋画の先駆者高橋由一の画塾支援要請に応じた縁で寄贈された油絵などを公開しており、わが国最大の由一コレクションである。
▼高橋由一館
▼展示27点、代表作(山形市街図)(web引用)
▼花魁、鮭(web引用)
引き続き、Vol.914-4/4をご覧ください。











































