Vol.892-1/3に続けてご覧ください。
さぬき歴史(観て歩き)フォトレポ-東讃編:04<白鳥廃寺跡・向良神社>
<07.白鳥廃寺跡> <撮影:2017.04.14>
1968(昭和43)年度と1982年度の発掘調査で、白鳥廃寺跡の北側で講堂と見られる遺構を発見した。
試掘調査の際には柱穴や礎石などが見つからなかったが、建物の周囲に巡らされた雨落ち溝(幅1m程度)の痕跡が数ヵ所で確認され、溝内の出土物からも寺関連の建物跡(南北5m、東西11m)であると断定された。
寺は南面し、南大門に続いて中門が有り、中門に入ると右手に搭、左手に金堂という法起寺(ほっきじ)式伽藍配置で有った事が明らかに成った。調査によって白鳥廃寺跡の面積は全体で約4700平方mと推定される。
創建年代は、出土古瓦と搭基壇(とうきだん)出土須恵器から白鳳期であることが判明しており、大内郡の豪族による建立と考えられる。平城京の瓦と同じ文様の瓦も有り、中央政権との深い繋がりも窺われる。
<所在地・外観>
▼白鳥廃寺跡-東かがわ市湊字山下1177
▼白鳥廃寺跡-旧大内郡を代表する古代寺院跡、円形造出しをもつ塔心礎石
JR三本松駅から国道11号線を東に1.6Km進み、湊大橋(湊川)の西詰を南に曲がり、千光寺橋西詰で右折して西に向かい、突き当りを直ぐ左折し次の三差交点を右折し、道なりに進むと山下池の東側に出る。
▼JR三本松駅、湊大橋
▼千光寺橋、町営山下団地前を通過
▼山下下池
<概 要><歴史遺産>
山下下池の東側の谷地形になった所に、「白鳥廃寺跡」(県史跡)がある。
▼白鳥廃寺跡に着いた、説明版
▼白鳥廃寺跡-1
▼白鳥廃寺跡-2
▼白鳥廃寺跡-3
▼白鳥廃寺跡-4
▼白鳥廃寺跡-5
▼白鳥廃寺跡-6、山下下池から見た白鳥廃寺跡
伽藍配置まで解る県内の古代寺院跡は、国分寺跡(高松市国分寺町)と当廃寺跡のみである。
▼白鳥廃寺跡の伽藍配置(web引用-水彩画風変換)
▼讃岐国分寺跡の伽藍配置図(web引用)、配置模型-1
▼讃岐国分寺跡配置模型-2
<関連遺産>
白鳥廃寺跡の南西約1kmの白鳥字の北池付近に「高松廃寺」(高松寺跡)がある。
寺前橋(湊川)の西詰から西北方向に約500m行き、北池に差し掛かった所で右折し、内海家住宅の横から寺山(高丸山)に向かって細い道を上がって行く。
▼寺前橋、北池
▼寺山(高丸山)、内海家住宅の横から上がる
約30mまで登った最上段の畑地の所が、廃寺跡である。
▼高松廃寺-1
▼内海家住宅の左側から上る-1
▼内海家住宅の左側から上る-2、高松廃寺跡-2
▼高松廃寺跡
奈良時代の古瓦や金銅製の仏像が出土しており、西側の林の中の墓地に礎石が1つ残っている。
▼林の中の墓地-1
▼林の中の墓地-2
水主神社所蔵の「大般若経」(国重文)の箱書(1423年)に、高松寺良毫(りょうごう)の名前が有るので、室町時代にも高松寺が存在していた事は確かである。
しかし、天正年間(1573~1592)の兵火に掛かり、その後は再建されず廃寺となった。
▼外陣大般若経第2巻奥書(web引用)
<文は現地説明板やWebなどより引用した>
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