Vol.861-6/6 雑学64。かがわ探訪Akijii77撰-52<5.公園:1>(みろく) | akijii(あきジイ)Walking & Potteringフォト日記

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「凡に中なる、これ非凡なり」(論語)、「何事も自分に始まり、自分に終わる。自分を救う道は自分以外ない」(夏目漱石の言葉)を座右の銘に、我流(感性だけ)の写真を添えて日記を綴る。

Vol.861-5/6に続けてご覧ください。

 

<富田茶臼山古墳までのメモ>

▼富田茶臼山古墳へ向かう(約0.9Km)、みろく野球場入口の四差交点へ戻る

 

▼みろく自然公園案内図、往路を戻る-1

 

▼往路を戻る-2、みろく野球場入口の四差交点に戻った

 

▼県道10号線交差点まで下る-1、右下にテニスコート

 

▼県道10号線交差点まで下る-2

 

▼県道10号線交差点まで下る-3

 

▼後ろを振り返る、県道10号線交差点まで下る-4

 

▼県道10号線交差点を直進横断して左折、県道10号線を西北に進む-1

 

▼県道10号線を西北に進む-2、左奥に道の駅「みろく」

▼県道10号線を西北に進む-3、次の交点を右折

 

▼富田茶臼山古墳へ進む-1

 

▼前方奥に富田茶臼山古墳(全体)が見えて来た、次の交点を左折

 

▼富田茶臼山古墳へ進む-2(古墳の前方部が見える)

▼北西方向奥に五剣山と屋島が見える、五剣山と屋島のズーム景

 

▼富田茶臼山古墳へ進む-3、交点を右折

 

▼富田茶臼山古墳へ進む-4

 

 

2.富田茶臼山古墳探訪メモ・ルポ

富田茶臼山古墳は、さぬき市大川町富田中にある全長139mで四国最大の前方後円墳である。

後円部径は91m・高さが15.7m、前方部幅は77m・高さが11.8mの3段築成で葺石・埴輪・周濠を備える。

古墳の西側では陪塚とみられる1辺14~24mの方墳3基が確認されている。

5世紀前半(古墳時代中期前半)頃の築造と推定される。1993(平成5)年に国の史跡に指定されている。

墳頂に妙見神社が、後円部東側に弥勒菩薩が祀られている。

 

▼富田茶臼山古墳の後円部(東方)に着いた、富田茶臼山古墳の後円部の頂上

 

▼富田茶臼山古墳-説明板、富田茶臼山古墳-平面図と陪塚位置図

 

▼妙見神社

 

▼富田茶臼山古墳の後円部の頂上から見る前方部(西方)

 

▼富田茶臼山古墳の後円部の頂上から見る北西方向(県道133号線)、五剣山と屋島のズーム景

 

 

<帰路メモ>

▼帰路のバス停「みろく公園前」へ向かう(約0.2km)、から下りる-1

 

▼墳頂から下りる-2、左側の西岡の弥勒菩薩へ寄る

 

▼西岡の弥勒菩薩-1

通り池(現在は公園)を掘った際、この本尊の石仏が出たのでそれを祀ったといい地名も弥勒と言っている。

もとこの池の西渚に庵があって安置され、後に現在地に移り今はブロック建(二間四方)の堂内に安置されている。

本尊の石仏は凝灰岩造りで基礎、連座を置きその上に安座しているが頭部は欠落しており、現在は別のものを据えている。膝も二つに割れており、手法やや素朴であるが大きめである。三道までの像高は97cm、条帛(じょうはく)(又は衲衣)の痕跡が残っている。直径76cmの連弁(れんべん)に結跏趺座(けっかふざ)している。弥勒信仰の流行、凝灰岩の石造物の建立から考えると中世以降の作で、この弥勒菩薩を中心として大日如来坐像、宝莢印塔等が安置されている。

▼西岡の弥勒菩薩-2

 

▼墳頂から下りる-3

 

▼墳頂から下りた、後方を振り返る

 

▼バス停「弥勒公園前」へ進む、県道133号線交点を右折

 

▼バス停「弥勒公園前」に着いた、みろく通池公園-1

「みろく通池公園」でバス時間待ち➡大川バス「高松駅行」に乗車。

 

▼みろく通池公園-2

 

▼みろく通池公園から見る富田茶臼山古墳の墳丘、みろく通池公園の前の案内板

 

▼バス停「高松駅」で降車しJR高松駅④番のりばへ進む、JR高松駅から帰宅の途に就いた

 

 

▶▶▶▶▶▶ 今報了◀◀◀◀◀◀