Vol.860-5/6 雑学63。かがわ探訪Akijii77撰-51<4.城址:05>(丸亀城) | akijii(あきジイ)Walking & Potteringフォト日記

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「凡に中なる、これ非凡なり」(論語)、「何事も自分に始まり、自分に終わる。自分を救う道は自分以外ない」(夏目漱石の言葉)を座右の銘に、我流(感性だけ)の写真を添えて日記を綴る。

Vol.860-4/6に続けてご覧ください。

 

▼本丸へ進む-2、本丸へ京極坂を進む-1

 

▼本丸へ京極坂を進む-2

 

▼本丸に着いた、本丸の標柱

山上の最高所が本丸で、本丸には天守の他に隅櫓(すみやぐら)・多聞(渡櫓(わたりやぐら))や土塀が巡っていた。

発掘調査で確認されたこれらの石垣や雨落ち排水路を一部復元している。

 

▼本丸の南東(宗門櫓跡)方向、北西(姫櫓跡)方向

 

▼本丸の南西(四等三角点)方向、本丸の大願城就札掛け所

 

▼天守板札説明板

 

▼本丸(宗門櫓跡)から見る南東~南西のパノラマ景

▼本丸の四等三角点、本丸の姫櫓跡

 

▼本丸の姫櫓跡から見る西東(多度津町)方向の遠景、北(まるがめボートレース場)方向の遠景

 

▼本丸の姫櫓跡から見る天守、天守-1

三層三階の現存木造天守で、建物の高さは約15mある。1階北側には石落しや狭間(さま)があり、唐破風(からはふ)や千鳥破風(ちどりはふ)で意匠を凝らしている。この天守は、四国内では最も古く、万治三年(1660)に完成した、日本一小さな現存木造天守である。

▼天守-2

 

▼天守の東北角へ進む、天守の東北角に着いた

 

▼天守の東北角の右(東北)奥に青ノ山、北東(宇多津町)方向の遠景

 

▼天守の東北角の下は二の丸、本丸に戻る-1

 

▼本丸に戻る-2、本丸に戻った

 

 

2.跡探訪メモルポ-1(本丸~搦手門跡)

 

▼搦手門跡へ向かう(約0.6km)、前方に飯野山

 

▼京極坂を下る、二の丸を進む-1

 

▼-キャッスルロード「二の丸橋」を渡る、キャッスルロード「川中島」

 

▼二の丸を進む-2、山崎坂を下る-1

 

▼山崎坂を下る-2、三の丸に降りた

 

▼三の丸月見櫓跡と飯野山、二の丸の石垣沿いに西へ進む-1

 

▼二の丸の石垣沿いに西へ進む-2、「南西の帯曲輪石垣の修復工事」現場の手前を左折して下る

 

▼「南西の帯曲輪石垣の修復工事」現場-1、搦手門跡へ下って行く-1

 

▼後方の石垣、搦手門跡へ下って行く-2

 

▼「南西の帯曲輪石垣の修復工事」現場-2、搦手門跡へ下って行く-3

 

▼搦手門跡へ下って行く-4

 

▼後方の石垣-1

 

▼後方の石垣-2、搦手門跡へ下って行く-5

 

▼左側の石垣、搦手門跡へ下って行く-6

 

▼右側の石垣、後方の石垣-3

 

▼搦手門跡へ下って行く-7

 

▼搦手門跡へ下って行く-8

 

▼搦手口に着いた、搦手口から後ろを振り返る

三の丸南側の搦手口は山崎氏時代の大手になる。この場所は石垣を巧に配し、城内でも一番堅固に造られた場所で、この石垣は加工した大きな石を用いているところがある。

 

 

引き続き、Vol.860-6/6をご覧ください。