Vol.843-2/5 雑学46。かがわ探訪Akijii77撰-34<寺社:18>(熊岡八幡宮) | akijii(あきジイ)Walking & Potteringフォト日記

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「凡に中なる、これ非凡なり」(論語)、「何事も自分に始まり、自分に終わる。自分を救う道は自分以外ない」(夏目漱石の言葉)を座右の銘に、我流(感性だけ)の写真を添えて日記を綴る。

Vol.843-1/5に続けてご覧ください。

 

かがわ探訪Akijii77撰シリーズ-34<2.寺社:18)

(熊岡八幡神社・興隆寺石塔群・出雲大社讃岐別院)

豊中町比地大の熊岡八幡神社と興隆寺石塔群・出雲大社讃岐分院を訪ねました。

 

<歩行ルート>総距離5.2Km(スタート駅~帰宅駅)(立ち寄り部分不含)総歩数 9,180

 

▼近郊航空写真、歩行ルート図

 

▼熊岡八幡神社

 

▼興隆寺石塔群、出雲大社讃岐分院

 

 

<探訪地点までのメモ>

▼JR端岡駅③番のりばへ進む、JR端岡駅③番のりばに着いた

 

▼JR端岡駅の南方向の景観パノラマ

▼琴平行に乗車、JR多度津駅で伊予西条行に乗り換え

 

▼JR比地大駅で下車、駅の東側に出雲大社讃岐分院の看板(当駅下車西へ500米)

 

▼JR比地大駅ホームから県道35号線へ、比地大踏切の右(東-県道35号線)方向

 

▼県道35号線を西方向に進む、県道35・224号線交差点を直進横断

 

▼県道35・224号線交差点の右(北-県道224号線)方向、左(南-県道224号線)方向

 

 

<熊岡八幡神社までのメモ>

▼熊岡八幡神社へ向かう(約1.1km)、豊中町比地大を西北方向に進む-1(左は比地大小学校)

 

▼比地大小学校、豊中町比地大を西北方向に進む-2

▼豊中町比地大を西北方向に進む-3、ミラーマーキング

 

▼豊中町比地大を西北方向に進み次の交点を左折、豊中町比地大を南西方向に進む

 

▼三叉交点を右折、宮池に向かい西北方向に進む-1

 

▼宮池に向かい西北方向に進む-2

 

▼宮池に向かい西北方向に進む-3

 

▼宮池に向かい西北方向に進む-4

 

▼宮池に向かい西北方向に進む-5、正面奥に宮池の堤防

 

▼宮池の堤防と熊岡八幡神社御旅所、ズーム

 

▼正面に宮池の堤防、宮池の堤防の右奥に熊岡八幡神社の鳥居が見える

 

▼宮池の堤防の左方向(奥に熊岡八幡神社御旅所)、熊岡八幡神社御旅所のズーム

 

▼宮池の堤防の右方向(奥に熊岡八幡神社の鳥居)、熊岡八幡神社の鳥居の右側に惣官寺が見える

 

 

1.熊岡八幡神社探訪メモ・ルポ

承平元年(931)山城国五位大宮左京太夫藤原益昌が朱雀天皇の勅をうけてこの地に勧請し祀ったと伝え、中古まで大社であったが、天正年間兵火にかかり社殿炎上したので、天正九年(1581)新殿造営し奉った。

現在の本殿は明治十四年(1881)造営されたものである。当社は『西讚府志』によると、「此村の外、笠岡竹田下勝間比地等の五村より祭りをなせり」と記され、往古より熊岡郷大村・笠岡村、下勝間村の鴨、比地村の下司、成行、長啜(ながりて)の総氏神で、例祭も盛大であったという。また『社記』によれば国主生駒家から社領二反、山崎甲斐守から社領六反二畝、合わせて八反六畝を神領とし、京極家から社殿営繕料として山林三町歩の寄進を受けている。

明治三年閑院宮家から社号扁額及び雪洞、昭和三十二年に幣帛料が奉納されている。

なお、大正三年九月に神饌幣帛供進神社に指定され、昭和六年に鎮座一千年祭を行っている。

 

▼熊岡八幡神社前に着いた、高欄と鳥居

 

▼鳥居の右側、縁起

 

▼鳥居の左側、豊中町指定文化財の掲示板

 

▼243段の石段を上る-1、随神門-1

▼随神門-左の随身像、左の神門狛

 

▼随神門-右の随身像、右の神門狛

 

▼243段の石段を上る-2

 

▼踊場右方向の車道、左方向の車道

 

▼243段の石段を上る-3

▼243段の石段を上る-4

 

 

引き続き、Vol.843-3/5をご覧ください。