Vol.837-1/4に続けてご覧ください。
かがわ探訪Akijii77撰シリーズ-28<2.寺社:12)>(総本山善通寺)
真言宗善通寺派総本山、屏風浦五岳山誕生院と号する善通寺を訪ねました。
<歩行ルート>総距離4.7Km(スタート駅~帰宅駅)(立ち寄り部分不含)、総歩数 9,160
▼近郊航空写真、歩行ルート図
▼善通寺-東院の境内、西院の境内
<探訪地点までのメモ>
▼今日の天気は上々-1:(南東)だんご山3兄弟の上空、(南西)鷲ノ山の上空
▼今日の天気は上々-2:(東北)袋山の上空、(西北)国分台と猪尻山の上空
▼JR端岡駅に着いた、JR端岡駅③番のりばへ進む
▼端岡駅から見るだんご山3兄弟、琴平行に乗車
▼JR善通寺駅で下車、JJR善通寺駅のホームから見る「弘法大使御誕生地」の看板
▼JR善通寺駅の改札へ跨線橋を渡る-2、JR善通寺駅の改札を出る
▼総本山善通寺の南大門へ向かう(約1.4km)、県道209号線を西南に進む-1
▼県道209号線を西南に進む-3
▼左奥に新館の善通寺市役所・図書館
▼左に善通寺郵便局・年金事務所、正面に香色山・奥にが我拝師山と筆ノ山
▼左に善通寺市民会館と手前は片原町児童公園、片原町児童公園
▼善通寺ロータリークラブ-メモリアルプレート事業
▼BLACK ROARD ART-「追福」、県道209号線を西南に進む-4
▼左は四国学院大学、県道209号線を西南に進む-5
▼県道209号線を西南に進む-6、県道24号線交差点を直進横断
▼県道24号線交差点の右(県道24号線)方向、左(県道24号線)方向
▼南大門へ進む-1
▼南大門へ進む-2
▼南大門へ進む-3、総本山善通寺の五重塔が見えて来た
▼南大門へ進む-4、後ろを振り返る
▼南大門が見えて来た、南大門に着いた
<探訪メモ・ルポ>
総本山善通寺は、弘法大師空海が御誕生された地であり、四国八十八ヶ所霊場の75番札所でもあります。また京都の東寺、和歌山の高野山とならぶ弘法大師三大霊跡のひとつとして、古くから篤い信仰をあつめています。総面積約45千平方mに及ぶ広大な境内は、「伽藍」と称される東院、「誕生院」と称される西院の東西二院に分かれています。金堂、五重塔などが建ち並ぶ「伽藍」は、創建時以来の寺域であり、御影堂を中心とする「誕生院」は、お大師さまが御誕生された佐伯家の邸宅跡にあたり、ともに弘法大師御誕生所としての由縁を今に伝えています。 (香川県観光協会HP)
▼総本山善通寺南大門
国登録文化財 南大門[明治時代・1908年建立]は、東院(伽藍)の南に位置する善通寺の正門です。
現在の建物は日露戦争戦勝を記念して明治41年(1908)に再建されたものです。
高麗門と呼ばれる形式で造られており、高さは9.7mあります。正面上方には善通寺の山号である「五岳山」の扁額が掲げられています。意匠の細部に目をやると、てっぺんの棟積の水板部分には、龍・迦陵頻伽(かりょうびんか)・鳳凰が立体的にあらわされ、四隅の軒先には四天王像(南東:持国天、南西:増長天、北西:広目天、北東:多聞天)が鎮座します。
弘法大師空海の生涯とその奇跡・霊瑞をあらわした「高野大師行状図画」には善通寺の門に掲げられていたとされる弘法大師自筆の額に関する話が載せられています。
~その昔、善通寺には弘法大師筆の扁額が掲げられた門があった。陰陽師・安倍晴明は縁あって讃岐国を訪れる機会があり、この門の前にさしかかると配下の鬼神がもつ松明(たいまつ)の火が消え、門を通り過ぎると再び火がともったという。これを見て晴明は、この門には四天王がおり、寺を火災から守護していることを感じ取ったという。~
南大門に掲げられた四天王はこの霊瑞に基づいているのです。 (総本山善通寺HP-以下同様)
▼総本山善通寺境内案内図、大楠
南大門北と五社明神社のかたわらにある2株の楠は、いずれも樹齢千数百年と伝え、お大師さまの幼少の頃、そして善通寺の創建当時を偲ばせる大木です。「善通寺境内の大グス」として香川県の天然記念物に指定されています。
▼五重塔、五重大塔の説明板
基壇から相輪までの高さが約43mの五重塔は、国内の木造塔として3番目の高さを誇ります。創建以来いくたびかの倒壊、焼失により再建を繰り返し、明治35年(1902)に完成した現在の五重塔は、4代目となります。
塔の中には、密教思想の中心的存在である五智如来(五仏)が安置されています。
▼法然上人逆修之塔、足利尊氏利生塔
逆修塔とは、死後の往生をねがって生前に自らが建立するものです。塔は、高さ4尺(約130cm)の石造の五輪塔です。
室町時代前期~戦国時代の制作年代の異なる部材により構成されています。法然上人は讃岐に配流になった際、敬慕する弘法大師空海の誕生地である善通寺に参詣しました。
足利尊氏・直義が、暦応元年(1338)、南北朝の戦乱犠牲者の菩薩を弔い国家安泰を祈念し、国ごとに一寺・一塔の建立を命じたことに由来する多層塔。製作は鎌倉時代前期~中期ごろとされる。
▼西国三十三観音霊場
▼釈迦堂
仏教の開祖である釈迦如来と十大弟子を安置しています。現在の建物は江戸時代・延宝年間(1673~1680)建立で、もとは西院(誕生院)の御影堂でした。天保2年(1831)の御影堂新築にあたり現在の場所への移転されたものです。
木造釈迦如来坐像は江戸時代の製作で、作者は未詳です。
▼仏足石、赤門
赤門は東門が本来の名称ですが、その朱色の塗装から「赤門」と呼ばれています。この門からつづく赤門筋商店街は、かつては丸亀・多度津方面からの参拝者でにぎわいました。また、商店街内には「乳薬師」(赤門七仏薬師)があります。
▼金堂-1、子授修行大師
善通寺の本堂である金堂は、伽藍(東院)の中央に位置します。
創建期の建物は、永禄元年(1558)の兵火によって焼失し、元禄12年(1699)に再建されたものです。
▼東院境内-2、鐘楼
▼三帝御廟、五社明神
「三帝」とは、後嵯峨天皇、亀山天皇、後宇多天皇にあらせられ、しばしば綸旨・院宣を賜わり、篤い庇護を頂戴いたしました。その遺徳をたたえるために建立された宝塔です。
香川県天然記念物の大グスを背景にして、南北に並んで立つ2棟の建物が五社明神社です。
流造、本瓦葺の社殿で、周囲に玉垣を廻らします。厳かな雰囲気をもつ善通寺の中でも印象的な景観のひとつです。
現在の社殿は、永禄元年(1558)の兵火後に再建された江戸時代前期のものです。
▼佐伯祖廟、金堂-2
お大師さまの父君・佐伯善通卿「佐伯明神」と母君・玉寄御前「玉寄明神」おまつりしています。
もとは、香色山のふもとにあった小高い丘(現駐車場)の上に「佐伯八幡宮」としておまつりされていました。
引き続き、Vol.837-3/4をご覧ください。







































































