Vol.828-2/3 雑学31。かがわ探訪Akijii77撰-19<寺社:3>(石清尾八幡宮) | akijii(あきジイ)Walking & Potteringフォト日記

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「凡に中なる、これ非凡なり」(論語)、「何事も自分に始まり、自分に終わる。自分を救う道は自分以外ない」(夏目漱石の言葉)を座右の銘に、我流(感性だけ)の写真を添えて日記を綴る。

Vol.828-1/3に続けてご覧ください。

 

かがわ探訪Akijii77撰シリーズ-19<2.寺社:03)>(石清尾八幡宮)

高松の西 太古 この地を治めた 秦氏の古墳が点在する峰山の麓に鎮座し 以来 氏神として崇められてきた杜、石清尾八幡宮 (石清尾八幡宮HP引用)

高松の氏神として市民に親しまれている八幡宮。

山裾に位置し、長い階段を上った先の社殿は厳かな雰囲気に包まれています。(香川県観光協会HP) 

高松の氏神「石清尾八幡宮」を訪ねました。

 

<歩行ルート>総距離2.0Km(スタート駅~帰宅駅)(立ち寄り部分不含)総歩数 3,310

 

▼近郊航空写真、歩行ルート図

 

▼石清尾八幡宮の門前、下拝殿

 

 

<探訪地点までのメモ>

▼JR端岡駅で乗車、JR高松駅で下車しバスターミナルへ進む

 

▼路線バスターミナルへ進む、ことでんバス「レインボー循環バス西廻り」に乗車

 

▼バス停「中新町」で降車、中央通り(R11・32号線)を南へ進む-1

 

▼中央通り(R11・32号線)を南へ進む-2、南へ進み次の中央町交差点を右折

 

▼中央町交差点を西に横断し八幡通りへ入る、グラジィス高松ザ・タワーの上層部

▼八幡通りを西方向に進む-1

 

▼八幡通りを西方向に進む-2、左側に高松八本松郵便局

 

▼八幡通りを西方向に進む-3(左に料亭・八幡平)、料亭・八幡平

 

▼右に真宗佛光寺派・聴徳寺、八幡通りを西方向に進む-4(県道173号線交差点を直進)

 

▼県道173号線交差点の右(北-香川県庁)方向、左(南-栗林公園)方向

 

▼八幡通りを西方向に進む-5

 

▼右方向は英明高校、左方向は紫雲山

 

▼八幡通りを西方向に進む-6

 

▼右側に石清尾八幡宮の御旅所

 

▼八幡通りを西方向に進む-7(右は亀岡公園)、亀岡公園
 

▼八幡通りを西方向に進む-8(石清尾八幡宮が見えて来た)、県道172号線亀岡町交差点を直進

▼県道172号線亀岡町交差点の右(北-県道33号線)方向、左(南-栗林トンネル)方向

 

▼八幡通りを西方向に進む-9

 

▼八幡通りを西方向に進む-10

 

▼八幡通りを西方向に進む-11、石清尾八幡宮に着いた

 

 

<探訪メモ・ルポ

石清尾(いわせを)八幡宮は香川県高松市宮脇町一丁目にある神社。

通称「おはちまんさん」「いわせをさん」と呼ばれ、高松の氏神、高松総鎮守として崇敬を集めている。

境内には香川県神社庁が所在している。

高松市中心市街地の南西部、石清尾山の裾野に鎮座している。高松の氏神だけあり、初詣などには多くの参拝客が訪れるほか、市立祭や例大祭では参道から御旅所まで続く八幡通り約670mを歩行者天国にして露店が立ち並ぶなど、高松市内の神社祭事でも最大規模の祭りとなる。(Wikipediaより引用)

 

<御由緒>

延喜18年(西暦918年)、八幡大神様が亀命山(現在の石清尾山)山上に現れたので、当時の国司が山上に祠を建ててお祀りしたと伝わっています。

石清尾八幡宮の社名の由来は、当時社殿があった赤塔山が亀ノ尾山塊の山裾にあたり、石清水八幡宮の「石清水」と「亀の尾」を一つにあわせて「石清尾」になったと言われています。

古来、この周辺は現在の八幡宮近くまで海であり、亀がたくさん這い上がって来ていたことから「亀命山」や「亀阜」など、亀とつく地名が多く見られます。

南北朝時代には、ここ讃岐を治めていた右馬頭(うまのかみ)細川頼之公が当宮への崇敬の念篤く、戦勝祈願を行います。従兄弟の細川清氏を破り、伊予の河野氏征伐が成就したことにより、当宮の社殿を改修し、様々な武具を奉納されました。この時(1364年)に右馬頭市(うまのかみいち)が始まり、現在の市立祭へと繋がります。

天正16年(1588年)には讃岐守、生駒親正公が高松城を造営し城下町を整えた際、当宮を府城の鎮護、高松の産土神と定めました。二代目の生駒一正公も当宮社殿を改築し、社領を寄進されました。

江戸時代に入り、寛永19年(1642年)高松藩主となった松平頼重公も当宮を氏神と篤く崇拝し、寛文6年(1666年)社殿を造営し、社領と多数の宝物を寄進されました。

第二代藩主松平頼常公も頼重公の社領寄進を追認し、以後、歴代藩主は代替わりごとに当宮を参拝することになりました。

明治5年には「懸社」に列せられました。

不幸にも、創建後320年に及ぶ本殿をはじめ、幣殿、上拝殿の3殿は昭和61年に焼失しましたが、平成元年に氏子崇敬者の浄財により復興されました。

また平成6年に神輿舎を新築し、平成8年には拝殿前の石段の傾斜緩和、石畳の修復など大規模な境内改修工事を行いました。以来、高松総鎮守・高松の護り神として多くの人に親しまれ現在に至ります。 (石清尾八幡宮HP引用)

 

▼社号標、由緒

 

▼随神門-1

 

▼随神門-2

 

▼随神門の左側、右側

 

▼さぬき十五社第五番の石柱、随神門を潜り境内へ入る

 

▼北門、香川県神社庁

 

▼恩頼堂、手水舎

 

▼下拝殿へ進む、下拝殿へ石段を上る

 

▼下拝殿-1、社務所

 

 

引き続き、Vol.828-3/3をご覧ください。