Vol.814-2/6 雑学17。かがわ探訪Akijii77撰-5<1.古町:5>(屋島古戦場) | akijii(あきジイ)Walking & Potteringフォト日記

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「凡に中なる、これ非凡なり」(論語)、「何事も自分に始まり、自分に終わる。自分を救う道は自分以外ない」(夏目漱石の言葉)を座右の銘に、我流(感性だけ)の写真を添えて日記を綴る。

Vol.814-1/6に続けてご覧ください。

 

かがわ探訪Akijii77撰シリーズ-05<1.古町:05)>(屋島古戦場)

伝説に魅せられて…源平合戦をめぐる町を訪ねました。

「祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり」…。日本一有名なイントロではじまる平家物語は、滅び行くもののあわれさと、追うものの雄々しさを描いた物語で、「弓流し」や「扇の的」など、平家物語に描かれた源平の合戦の名場面は、ここが舞台になっているものが多い。

 

<歩行ルート総距離8.9Km(スタート駅~帰宅駅)(立ち寄り部分不含)総歩数 13,350

 

▼近郊航空写真、歩行ルート図

 

▼源平合戦史跡図、屋島壇ノ浦の戦い

 

 

<探訪地点までのメモ>

▼JR端岡駅を出発、JR高松駅で高徳線に乗り換え

 

▼JR古高松南駅で下車、「Point1-菜切地蔵」へ向かう(約0.5Km)

 

 

Point-1<菜切(なきり)地蔵>探訪メモ・ルポ

弁慶が兵のために炊事をするのにまな板が無かったのでこの地蔵の背で野菜を料理して汁を作ったと言われている。

地蔵の背にはその時の刀痕があるといわれている。

 

▼国道11号線を西に進み直ぐに左折、妙覚寺踏切を南に渡る

 

▼妙覚寺踏切の右(西-屋島駅)方向、左(東-古高松南駅)方向

 

▼高松町を南方向に上がる、高松町を南方向に上がりT交点を左折

 

▼右角の妙覚寺に寄る、妙覚寺-1

▼妙覚寺-2

 

▼妙覚寺-3、高松町を東方向に進む-1

 

▼高松町を東方向に進む-2、牟礼町牟礼に入る

 

▼牟礼町牟礼を東方向に進む-1(右側に守里苑)、特老ホーム「守里苑」

 

▼牟礼町牟礼を東方向に進む-2、左に入り菜切地蔵へ進む

 

▼源平屋島合戦古戦場の石柱(牟礼町)、菜切地蔵の下を進む

 

▼菜切地蔵に着いた、菜切地蔵-1

 

▼菜切地蔵-2

 

▼菜切地蔵-3、「Point2-長刀泉」へ向かう(約0.4Km)

 

 

<Point-2<長刀泉(なぎなたいずみ)>探訪メモ・ルポ>

源氏方は瓜生ヶ丘に陣を敷いたが、この辺りは海が近くなかなか水を確保することができなかった。

そこで弁慶が長刀で井戸を掘るときれいな水が湧きそれを使って炊事したと言われている井戸である。

 

▼元の位置に戻る、牟礼町牟礼を東南方向に進む-1

 

▼左方向上に菜切地蔵(ミラーにマーキング)、牟礼町牟礼を東南方向に進む-2

 

▼交差点を左折、交差点の右(南)角に「☞菜切地蔵」の石柱

 

▼牟礼町牟礼を北方向へ進む-1

 

▼瓜生ケ丘が見える、瓜生ケ丘のズーム

源平屋島合戦の時、1日目の戦いを終えた源氏軍が陣を敷いたところである。

王墓の東南、西林寺あたりから菜切地蔵堂にかけての丘で土地の人は源氏が丘とか機敷が岡とも呼んでいる。

 

▼牟礼町牟礼を北方向へ進む-2(菜切踏切を渡る)、JR高徳線菜切踏切

 

▼菜切踏切の右(東-八栗口駅)方向、左(西-古高松南駅)方向

 

▼牟礼町牟礼を北方向へ進む-3

 

▼長刀泉に着いた、長刀泉-1

 

▼長刀泉-2

 

 

Point-3<佐藤継信(つぐのぶ)・太夫黒(たいふくろ)の墓>探訪メモ・ルポ

義経の身代わりとなって戦死した佐藤継信の墓は二ヶ所あるが、ここは源氏側が当時手厚く葬った場所である。

また、継信の死を嘆いて、義経は覚阿上人という志度寺の僧に大切にしていた馬を与え菩提を弔ってもらった。

その馬の墓を継信の墓の横に作った。

 

▼「Point3-佐藤継信の墓・太夫黒の墓」に向かう(約0.3Km)、牟礼川沿いに西方向に進む-1

 

▼国道11号線を西に横断、国道11号線の右(北東-牟礼交差点)方向

 

▼牟礼川沿いに西方向に進む-2

 

▼牟礼川沿いに西方向に進む-3、佐藤継信の墓・太夫黒の墓が見えて来た

 

 

引き続き、Vol.814-3/6をご覧ください。