Vol.791-4/5に続けてご覧ください。
▼白峯宮へ進む-2
▼白峯宮へ進む-3、白峯宮に着いた(社号標)
<白峯宮・高照院天皇寺ルポ>
崇徳上皇を祀るこの神社は、上皇の崩御の後に二条天皇によって社殿が建てられたと伝えられています。
上皇の遺体が野澤井の水に浸されてから白峰山にて荼毘に付されるまでの間、毎夜、付近の霊木に神光があったそうで、当時の社殿はその場所に設けられていたそうです。
このため「明の宮(あかりのみや)」とも呼ばれるようになったそうです。
上皇崩御の後、高倉天皇は「讃岐院」と呼ばれていた上皇に「崇徳天皇」と追謚(ついし)され、稲税を納めたと伝えられています。また源頼朝も稲税を納めて、下乗の立礼を建てたとされますが、残念ながら当時の社殿は天正年間に焼失してしまいました。現在の社殿はその後に再建されたもので、今も周辺の人々から手厚く祀られ、「天皇さん」の名称で親しまれています。(坂出市HP引用)
▼白峯宮の参道を進む-1、右奥にJR八十八場駅
▼白峯宮の参道を進む-2、右脇に御旅所
▼白峯宮の参道を進む-3
▼三輪(みわ)鳥居が見えて来た、白峯宮-1(三輪鳥居・社号看板・さぬき十五社第九番)
三輪鳥居は、三ツ鳥居(みつとりい)ともいい、鳥居の様式の1つで、1つの明神鳥居の両脇に、小規模な2つの鳥居を組み合わせたものである 。
▼白峯宮-2(扁額)、白峯宮-3
▼白峯宮-4
▼白峯宮-5
▼白峯宮-6
▼白峯宮-7、白峯宮-8(御神木-楠木)
▼白峯宮-9(力石)、白峯宮-10
▼白峯宮-11
▼天皇寺へ進む、天皇寺-1
天皇寺高照院は、崇徳上皇の冥福を祈願して崇徳天皇社が建立され、天皇ゆかりの寺ということで「天皇寺」と呼ばれるようになりました。元は白峰宮の神宮寺で、お寺は崇徳上皇をおまつりする白峰神社に隣接し、本尊は十一面観世音菩薩、「天皇寺高照院」とも呼ばれます。山門は無く、赤い鳥居があります。
現在は四国霊場第79番札所として多くの参拝客が訪れています。(坂出市HP引用)
▼天皇寺-2(日本遺産「四国遍路」)、天皇寺-3
▼天皇寺-4
▼天皇寺-5
▼天皇寺-6(本堂)
▼天皇寺-7(大師堂)、天皇寺-8
▼天皇寺-9
<復路ルートメモ>
▼帰路のJR八十八場駅へ向かう(約0.5Km)、👈白峰寺へんろ道(是ヨリ三十六丁)
▼へんろ坂を下る-1
▼へんろ坂を下る-2、「鈴の音が ゆれて流れる へんろ坂・↑お疲れさま 七十九番天王寺です」
▼へんろ坂を下る-3
▼正面の「遍路踏切」の手前を右折、JR予讃線路沿いを東南に進む-1
▼JR予讃線路沿いを東南に進む-2
▼JR予讃線路沿いを東南に進む-3
▼JR八十八場駅へ進む-1、右方向に白峯宮の御旅所
▼JR八十八場駅へ進む-2、左にJR八十八場駅
▼JR八十八場駅の高松方面のりばへ
▼JR八十八場駅のミラーにマーキング、JR八十八場駅から帰宅の途に就いた
▶▶▶▶▶▶ 今報了◀◀◀◀◀◀