Vol.791-1/5 遊び心。かがわ公立中学訪問記-24<05.坂出:3>(白峰) | akijii(あきジイ)Walking & Potteringフォト日記

akijii(あきジイ)Walking & Potteringフォト日記

「凡に中なる、これ非凡なり」(論語)、「何事も自分に始まり、自分に終わる。自分を救う道は自分以外ない」(夏目漱石の言葉)を座右の銘に、我流(感性だけ)の写真を添えて日記を綴る。

新居宮池は今

強烈な夕陽を浴びる宮池の北側。

 

 

高く広がる空間

三豊市山本町辻から見る阿讃連峯の上空。

丸亀琴平観音寺自転車道(財田川)から見る七宝山の上空。

財田川の土手(観音寺市本大町)から見るゆめタウン三豊とその奥の爺神山の上空。

本山寺五重塔(豊中町本山)の上空。

 

 

野村克也の言葉-AKIJII 71撰

65.遊び心。

忙しいときほど遊びたくなるのは自然の理。遊びたい気持ちが起きなくなったら、精神か、身体のどこかが傷んでいるのでは…と心配した方がよい。“忙しい”と“遊び”は表裏一体だから。

大成する人の共通項に“遊び心”があると言う。「あくまでも仕事にプラスになる遊び」。

 

 

Kagawaの里山・akijii-38撰シリーズ

17.屋島(やしま)  YouTube所要時間 06:13

所在地<高松市屋島西・東・中町>・標高<292>M

源平古戦場としての屋島は名の示す通り、浅瀬の海を隔てた離島で、水際合戦の軍(いくさ)絵巻が展開された。時は1185年、潟元(かたもと)や壇ノ浦(だんのうら)一帯が主戦場であったとみられる。

義経の弓流しや那須与一の扇の的の物語など、源平合戦の逸話は語るに尽きない。

幕末期のペリー率いる黒船来航が、文久年間(1861-64年)、幕府直命によって北端先端の長崎ノ鼻に迎撃用の砲台を築かせる契機となった。砲台跡が今も長崎ノ鼻に残っている。

屋島は極めて低い山だが、海の文化の宝庫であり、讃岐に限らず、日本を代表する尊い「自然遺産でもある。」瀬戸内海に突き出た屋島は、テーブル状の溶岩台地としてひときわ目を引く。

「日本書紀」に西暦667年に屋島城が築かれたと記されている。

五剣山を挟んでその壇ノ浦の西側に位置する屋島は、日本では珍しい台形の形をした溶岩台地の山で、昔は島であったが現在は干拓によって陸続きとなっている。

 

 

 

<Flower arrangement>

 

 

A seasonal flower 

◇町並巡りで出会った菊A

 

 

◇ウォーキングコースに咲いていたチョコレトコスモス

 

 

◇町並巡りで出会った菊B

 

 

 

<akijii展-(349)

今報はトリックアト塗り04.ミッキ&ミニ-3です。

◇塗って撮影

 

◇飛び出す塗り絵

 

引き続き、Vol.791-2/5をご覧ください。