Vol.614-4/4 報恩謝徳<郵便局のある町を訪ね歩く-18:与北・本郷通・仙游町・善通寺> | akijii(あきジイ)Walking & Potteringフォト日記

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「凡に中なる、これ非凡なり」(論語)、「何事も自分に始まり、自分に終わる。自分を救う道は自分以外ない」(夏目漱石の言葉)を座右の銘に、我流(感性だけ)の写真を添えて日記を綴る。

Vol.614-3/4に続けてご覧ください。

 

▼善通寺仙游町郵便局が見えてきた、善通寺仙游町郵便局に着いた

 

 

<訪ねる郵便局-3:善通寺仙游町郵便局【店番号:63165★★★☆☆

▼善通寺仙游町郵便局の局舎、善通寺仙游町郵便局の風景印

善通寺仙游町郵便局の風景印は「善通寺金堂、五重塔、境内の風景」である。   

 

善通寺仙游町郵便局の所在地は「善通寺市善通寺町5丁目8-38ある。

 

▼善通寺仙游町郵便局-1

▼善通寺仙游町郵便局-2

 

▼善通寺仙游町郵便局-3

 

 

<歩行メモ>

▼善通寺郵便局へ向かう(1.7km)、県道48号線を西南に進む-3

 

▼右前方に四国こどもとおとなの医療センター、次の交点を左折

四国こどもとおとなの医療センターは、一般病床667(重症心身障害215床含む)精神22(児童)689床、標榜診療科(48診療科)の規模を持つ独立行政法人国立病院機構である。

▼善通寺町を南東に進む-1、右に砂古荒魂神社

 

▼砂古荒魂神社、善通寺町を南東に進む-2

 

▼善通寺町を南東に進む-3 右側のお宅のガレージに竹細工の展示

 

▼熊岡のかたパン店

香川県には歯が折れそうなくらい堅い堅い 堅パンというお菓子があります。

堅パンは全国にたくさんありますが、歯が折れるんじゃないかと不安になるくらい堅いのはきっと善通寺の「熊岡菓子店」の堅パンだけ!!

讃岐うどんめぐりや、四国お遍路参りのお供に「堅パン」はかかせないですよ~!!との声がある。

▼善通寺町を南東に進む-4 右に善通寺の仁王門

 

▼左折し直ぐ観智院、善通寺の中門

 

▼善通寺の境内と五重塔、善通寺の南大門

 

▼善通寺郵便局へ進む-1

 

▼善通寺郵便局へ進む-2

 

▼善通寺郵便局へ進む-3、県道24号と209号線の交点を直進

 

▼県道209号線を北東に進む-1右は四国学院大

 

▼善通寺郵便局が見えてきた、善通寺郵便局に着いた

 

 

<訪ねる郵便局-4:善通寺郵便局【店番号:63038★★★☆☆

▼善通寺郵便局の局舎、善通寺郵便局の風景印

善通寺郵便局の風景印は「善通寺仁王門と御影堂に五重塔と五岳山」である。   

 

善通寺郵便局の所在地は「善通寺市文京町2丁目9-2ある。

 

▼善通寺郵便局-1

 

▼善通寺郵便局-2

▼善通寺郵便局-3

 

▼善通寺郵便局-4

 

 

<歩行メモ>

JR善通寺駅へ向かう(0.4Km) 県道209号線を北東に進む-2

 

▼県道209号線を北東に進む-3、左側に瀬川酒店

瀬川酒店は、明治31(1898)に琴平の榎井にある丸尾酒店の支店として始まり、大正6(1917)に棟上げをしたのが現在の建物。母屋は本瓦葺き入母屋造りで、続いて北倉、西倉、東倉と増築されました。

その昔は酒造りも行っていて、日露戦争凱旋の時に、初代師団長の乃木希典が、八幡神社に奉納した酒をたいそうほめてくれたことから、「師団一」という名前をつけて販売していました。しかし第二次世界大戦末期から原料の米がなくなり、酒造りは止めてしまいました。5人いた男兄弟はみな戦争にとられ、17歳の時に家業を継いだ瀬川社長は女手ひとつで店を守ってきました。店は改造を重ねましたが、どっしりした昔ながらの店構えに変わりはありません。駅前からこの通りには古い建物が目につきます。今と昔が不思議な調和をみせています。国指定登録有形文化財。   (善通寺市HP)

▼右に善通寺市庁、JR善通寺駅へ進む-1

 

JR善通寺駅へ進む-2

 

JR善通寺駅に着いた、JR善通寺駅のホーム-1

 

JR善通寺駅のホーム-2JR善通寺駅から帰宅の途に就いた

 

 

▶▶▶▶▶▶ 今報了◀◀◀◀◀◀