Vol.577-2/5 青春とは、心の若さ。<史跡探訪-県都高松市編08:高松市池田・東植田町> | akijii(あきジイ)Walking & Potteringフォト日記

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「凡に中なる、これ非凡なり」(論語)、「何事も自分に始まり、自分に終わる。自分を救う道は自分以外ない」(夏目漱石の言葉)を座右の銘に、我流(感性だけ)の写真を添えて日記を綴る。

Vol.577-1/5に続けてご覧ください。

 

<史跡探訪シリーズ-県都高松市:08く高松市池田町・東植田町>

 

高松市池田町・東植田町の史跡探訪の主たる狙いは、光専寺山遺跡と下司廃寺塔跡を訪ねることである。

 

探訪ルートと探訪史跡ルート総歩数 13,600

▼探訪ルート図、清光神社

 

▼下司廃寺塔跡

 

▼坂瀬池、岡田合子(ごうす)神社

 

▼光専寺、光専寺山遺跡

 

 

<歩行メモ>

▼高松駅バスターミナルでことでんバスに乗車、バス停「大亀」で降車

 

▼高松市岡田・西植田町-ルート3Ⅾ略図

▼下司廃寺塔跡へ向けてスタート、県道13号線を左折

 

▼一般道を東進

 

▼川北橋(春日川)を渡る、朝倉川が春日川に合流する地点

▼朝倉川沿いに東進-1

 

▼朝倉川沿いに東進-2

 

▼朝倉川沿いに東進-3

 

▼朝倉川沿いに東進-4

▼朝倉川沿いに東進-5、朝倉川(新あんこう橋)を南に渡る

 

▼一般道を南に進む-1

 

▼一般道を南に進む-2、次の交点を左折

 

▼一般道を東へ進む、左に清光神社・右に下司廃寺塔跡が見えてきた

▼清光神社-1

朝倉川の南に祀られている神社で、境内の大きなムクノキ(高松市指定名木)が、遠くからもよく目立つ。社殿は石造りで、私の背丈より大きい。
由緒(香川県神社誌)東植田村村社八幡神社境外末社。元和三年(紀元二二七七)創建。

 

▼清光神社-2

 

▼清光神社-3(高松市名木-ムクノキ) 下司廃寺塔跡へ右折

 

 

<探訪史跡-1:下司廃寺塔跡

古代寺院の遺構が殆んど失われている中で、下司廃寺(げしはいじ)塔跡は、比較的よく残している。

塔跡基壇は高さ約2m、大きな楠の樹間に祠(ほこら)が置かれ、礎石数個が露出し、古瓦破片が散乱している。境内地並びに堂宇の全容は不詳であるが、周辺の地名(東の丁・中の丁・西の丁など)があり、相当広い寺域にわたっていたことが推定され、この地が宗教的に開けていたことを物語っている。

6世紀のころ、仏教の伝来にともない崇仏・排仏の争いが激しかったが、朝廷の方針が仏教奨励に傾くにつれ、諸国の豪族も仏教に帰依(きえ)するものが相次ぎ、各地に国分寺・国分尼寺の壮大な伽藍(がらん)が創建されるにおよび、豪族達も競って寺院を建立した。

讃岐にも古代寺院が30近く建立され、地方における仏教文化の中心地となっていた。    

(高松市歴史民俗協会・高松市文化財保護協会1992年『高松の文化財』より抜粋)

 

▼下司廃寺塔跡-1

 

▼下司廃寺塔跡-2

 

▼下司廃寺塔跡-3

 

▼下司廃寺塔跡-4

 

▼下司廃寺塔跡-5

 

▼下司廃寺塔跡-6

 

▼下司廃寺塔跡-7

 

 

<歩行メモ>

▼下司廃寺塔跡を後にする、坂瀬池へ向かう

▼下司廃寺塔跡(クスノキ)を振り返る-1、高様川沿いに進む

 

 

引き続き、Vol.577-3/5をご覧ください。