Vol.574-3/4 人を責める前に自分を。<史跡探訪-県都高松市編05:高松市十川東町> | akijii(あきジイ)Walking & Potteringフォト日記

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「凡に中なる、これ非凡なり」(論語)、「何事も自分に始まり、自分に終わる。自分を救う道は自分以外ない」(夏目漱石の言葉)を座右の銘に、我流(感性だけ)の写真を添えて日記を綴る。

ol.574-2/4に続けてご覧ください。

 

<探訪史跡-2:十河城跡>

称念寺は旧十河城の本丸跡に建立された十河(そごう)氏の菩提寺で、浄土宗の寺院である。

 

十河城跡は、十川東町の「城」といわれる地名の台地上にあり称念寺を中心とする一帯である。

四方の眺望にすぐれ、城として恵まれた立地にある。同寺の境内に、本丸があったと考えられている。本丸跡には、将兵の菩提を弔うため称念寺が建立された。北側の空堀は、歴然と名残をとどめ、西側の鷺(さぎ)の池、東側の急傾斜など天然の地形を利用した中世の典型的な城跡として貴重な史跡である。

南北朝時代、山田郡の豪族植田景保(かげやす)の第4子吉保(よしやす)が十河城に分家し、城主となる。

以来、存景(まさかげ)・存春(まさはる)(景滋(かげはる)と続き、足利幕府細川管領家の執事(しつじ)職をつとめた阿波の三好家から一存(かずまさ)、存保(まさやす)と二代にわたって当主を迎え、国内の名族をおさえて讃岐の旗頭となり2万石を領した豪族である。

十河城は土佐の長宗我部元親の讃岐侵攻に際し、激戦の城となったことで有名である。

(高松市歴史民俗協会・高松市文化財保護協会1992年『高松の文化財』より)

 

門前・白壁

 

十河城跡の説明板、鐘楼門

 

石盥、石像

 

碑文、鉄灯籠

 

薬師堂、薬師如来像

 

薬師如来由来説明板、歌碑

 

▼本堂

 

▼天水桶、梵鐘

 

▼城靈廟、石塔群

 

 

東側の急傾斜、北側の空堀跡と思われる所を通って十河歴史資料館へ向かう。

▼鐘楼門を潜り十河歴史資料館へ進む-1

 

▼鐘楼門前を左折(北進)し十河歴史資料館へ進む-2

 

▼十河歴史資料館へ進む-3

 

▼十河歴史資料館へ進む-4

 

▼北門地蔵・からくり橋跡・空堀跡とその説明板

 

▼北門地蔵

 

 

<歩行メモ>

▼十河歴史資料館へ進む-5、資料館が見えてきた

 

 

<探訪史跡-3:十河歴史資料館と十河城主の墓>

十河城、十河城主の歴史、十河氏のことなど貴重な資料が展示されていて、詳しい資料の数々を見ると十河氏のことがよく解る。

 

▼十河の郷に着いた、十河歴史資料館-1

 

▼十河歴史資料館-2、十河一存・存保の墓の説明板

 

▼十河歴史資料館-4

 

▼十河歴史資料館-5:館内の様子

 

▼十河城主の墓、十河一存公・千代丸・十河春存公

 

▼十河城主の墓-碑文、碑文の説明板

 

 

<歩行メモ>

▼孝女以呂の墓へ向かう

 

▼孝女以呂の墓は地図ではこの辺りだが…、探すが見当たらず諦めた

 

▼馬の墓へ向かう

 

▼馬の墓か??、馬の墓のようだ!!

 

▼馬の墓に間違いない!!、馬の墓

 

▼ことでん池戸駅へ向かう(3.8)、県道30号線交点を右折

 

▼県道30号線を往路と同じく南下、コミバス停「城」の一つ先の角を左折

 

 

引き続き、Vol.574-4/4をご覧ください。