Vol.574-2/4 人を責める前に自分を。<史跡探訪-県都高松市編05:高松市十川東町> | akijii(あきジイ)Walking & Potteringフォト日記

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「凡に中なる、これ非凡なり」(論語)、「何事も自分に始まり、自分に終わる。自分を救う道は自分以外ない」(夏目漱石の言葉)を座右の銘に、我流(感性だけ)の写真を添えて日記を綴る。

Vol.574-1/4に続けてご覧ください。

 

<史跡探訪シリーズ-県都高松市:05く高松市十川東町>

 

高松市十川東町の史跡探訪の主たる狙いは、十河城跡を訪れることである。

 

探訪ルートと探訪史跡ルート総歩数 10,050

▼探訪ルート図、椙尾神社

 

▼称念寺(しょうねんじ)(十河城そごうじょう)、十河城主の墓

 

▼蓮池(右に天枝荒神社・その奥に白山)、平田池(奥に屋島)

 

 

<歩行メモ>

▼高松駅バスターミナルへ向かう、8番下り便のりばへ

 

▼ことでんバス-8番行先標示[65]フジグラン十川へ乗車、終点の「フジグラン十川」で降車

所要時間は約1時間である。

 

▼フジグラン十川店

 

▼フジグラン十川をスタート、県道30号線交点を右折

 

▼高松市十川東町-ルート3Ⅾ略図

▼県道30号線を南下、県道10号線との交点「十川東町交差点」が近い

 

▼県道10号線「十川東町交差点」の右(北西)方向、左(南東)方向

 

▼交差点を直進して県道30号線を南に進む、ローソン高松十川東町店の前に十河城跡の標示板

 

▼県道30号線を南下し椙尾神社へ向かう、椙尾神社へ進む-1

 

▼壇原交差点を直進、コミバス停「壇原」を通過

 

▼椙尾神社へ進む-2

 

▼椙尾神社へ進む-3(左折)、椙尾神社へ進む-4

 

▼椙尾神社へ進む-5、椙尾神社に着いた

 

 

<探訪史跡-1:椙尾神社>

由緒(香川県神社誌)  十河村村社鰹宇神社境外末社。古来椙尾大明神と称せられ、玉藻集「椙尾大明神 旦原 石見兼帯」とあり、名勝図絵に「祭神天津兒屋根命 鰐口銘曰文和三年卯三月・・・・・天正年中兵火に係り神寶も焼失せしが後再興せり」と見ゆ。

 

鰐口   仏教の法要儀式仏教の法要儀式や僧侶たちの集団生活の合図に使う梵鐘や鰐口、木魚などを梵音具といい、清浄な音を出す仏具である。鰐口は、金鼓ともいい、古代には多用されていたが、現代では、神社仏閣の軒先につるし、礼拝の時、布で編んだ綱で打ち鳴らしている。この椙尾神社の鰐口は、南北朝の文和三年(一三五四)銘の作で、面積二十センチメートルの小降りであるが、細部の形状には古様がみられる。表裏同文、面中央に日本の紐帯をめぐらせた撞き座区を配し、区内には三本の紐帯を、外区には二本の紐帯をめぐらせている。椙尾神社の東北百メートル余の「ごまんどう」と呼ばれている西福寺の護摩堂があった所から、元文年間(一七三六~一七四〇)に掘り出されたもので、地方色豊かな作風であるが、全体としてよく古い姿を伝え、文和三年の刻銘と合わせて考えると、鰐口編年上貴重な存在である。

銘文は「讃州山田郡十河郷椙尾大明神大師堂元心文和三年甲午三月十一日」  (社殿横案内板より)

 

▼境内、鳥居扁額

 

▼狛犬と拝殿、拝殿

 

▼鰐口の説明板、本殿

 

▼神棚、神社由来と鰐口・豆太鼓の由来

 

▼社殿、拝殿と境内

 

 

<歩行メモ>

▼称念寺へ向かう、県道30号線に戻り左折

 

▼称念寺へ進む-1 左は朔方寺(さくほうじ)

 

▼称念寺へ進む-2

 

▼称念寺へ進む-3

 

▼称念寺入口の標示板が見えた(右折)、称念寺へ進む-4

▼称念寺へ進む-5、称念寺が見えてきた

 

▼称念寺に着いた

 

 

引き続き、Vol.574-3/4をご覧ください。