Vol.566-2/5 古人の知恵をいまに生かす。<史跡探訪-西讃編04:三豊市財田町財田上> | akijii(あきジイ)Walking & Potteringフォト日記

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「凡に中なる、これ非凡なり」(論語)、「何事も自分に始まり、自分に終わる。自分を救う道は自分以外ない」(夏目漱石の言葉)を座右の銘に、我流(感性だけ)の写真を添えて日記を綴る。

Vol.566-1/5に続けてご覧ください。

 

<史跡探訪シリーズ-西讃編:く三豊市財田町財田上>

 

三豊市財田町財田上の史跡探訪の主たる狙いは、大久保諶之丞翁の胸像と顕彰碑を訪ねることである。

 

探訪ルートと探訪史跡ルート総歩数 10,750

▼探訪ルート図、道の駅「たからだの里物産館」

 

▼大久保諶之丞翁胸像、渓道神社

 

▼鮎返しの滝、塔重山公園

                       

▼池ノ尾池、大久保諶之丞顕彰碑

 

 

<歩行メモ>

JR端岡駅を出発、車窓から見る瀬戸内海の多島美

 

▼車窓から見る瀬戸内海に浮かぶ津嶋神社、三条山と爺神山

 

JR高瀬駅で下車、三豊市コミバス停「高瀬駅」後は爺神山

 

▼三豊市コミバス「たからだの里・物産館」まで乗車、 コミバスの車窓から勝田池の風景

バス停「たからだの里・物産館」まで所要時間は約50分である。

 

▼「たからだの里・物産館」で降車:標高122mの地点、復路の時刻を再チェック

 

▼道の駅「たからだの里マップ」、たからだの里・物産館の外観

船底型の屋根がトレードマークの物産館は、「たからだの里」と言えるほど地域の食材が凝縮され、農産物直売所から喫茶店まで、味わうことができる。

 

▼三豊市財田町財田上-ルート3Ⅾ略図

▼大久保諶之丞の胸像へ向かう-塔重山公園の展望台が見える

 

▼右側に「ふるさと伝承館」、大久保諶之丞の胸像が見えてきた

 

 

<探訪史跡-1:大久保諶之丞翁の胸像>

明治時代初頭の政治家で、社会的インフラの整備を提唱しました。医師不足を解消するための育英制度の創設、農家の次男らの自立を支援するための北海道移民の提唱と実現など、未来を見つめた卓越した人物として地元財田のみならず、隣接した琴平町を始め、西讃、香川、四国、そして日本中がその恩恵に与っていると言っても過言ではありません。自らの信念を曲げることなく貫き通し、莫大な私財を四国新道に注ぎ込んだ為、古くからの豪農の家でありましたが、小作からの納付金はすべて無くなり、田畑、山林もすべて人手に渡りました。残された家族は三度の食事にも窮したと伝えられています。志半ば、明治24年僅か42歳で亡くなりました。

 

▼ふるさと伝承館、大久保諶之丞の胸像-1:標高125mの地点

 

▼大久保諶之丞の胸像-2

 

 

<歩行メモ>

▼環の湯へ立ち寄る、湯の谷荘を通過

 

▼環の湯-1

▼環の湯-2

 

▼環の湯-3、環の湯の高台から溜め池を見る

 

▼大久保諶之丞の胸像の場所に戻る

 

▼渓道神社へ向かう-1、物産館を振り返る

▼渓道神社へ向かう-2、右上に環の湯の説明板

 

▼渓道神社へ向かう-3、戸川ダム公園を通り抜ける

 

▼戸川ダム公園、公園からから見る物産館

戸川ダム公園は、谷渓川の上流に昭和32年に竣工した。さぬき百選にも選ばれ、桜の花が満開となる頃、郷土の先人大久保諶之丞をたたえる「諶之丞まつり」が盛大に行われている。

付近には「環町指定無形民俗文化財の雨乞い踊り「さいさい踊り」発祥の地「渓道神社」がある。

上流には、「鮎返りの滝」があり、三島中州が詠んだ「鮎返瀑布」の詩碑が立てられている。

 

▼渓道神社へ向かう、渓道神社-1

 

▼渓道神社-2

 

▼渓道神社-3

▼渓道神社-4

 

▼鮎返しの滝へ向かう、谷渓川の上流に滝はある

 

▼谷渓川の下流方向、右側に溜め池の余水吐

 

▼鮎返しの滝へ坂道を進む-1

 

▼鮎返しの滝へ坂道を進む-2、鮎返しの滝の入口に着いた:標高135m地点

 

 

引き続き、Vol.566-3/5をご覧ください。