Vol.559-3/5 人は本来真っすぐに。<史跡探訪-瀬戸大橋の入口編-04:綾川町陶・滝宮> | akijii(あきジイ)Walking & Potteringフォト日記

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「凡に中なる、これ非凡なり」(論語)、「何事も自分に始まり、自分に終わる。自分を救う道は自分以外ない」(夏目漱石の言葉)を座右の銘に、我流(感性だけ)の写真を添えて日記を綴る。

Vol.559-2/5に続けてご覧ください。

 

▼綾川町総合運動公園へ坂を上がる-2:右下に一般道 右下にとかめ工業団地・前方に鷲ノ山

▼綾川町総合運動公園体育館に着いた、綾川町総合運動公園体育館-1

 

▼綾川町総合運動公園体育館-2

 

▼綾川町総合運動公園内にある「すべっと窯跡」へ向かう

 

 

<探訪史跡-1:すべっと窯跡>

綾川町に高さこそ低いが裾野を引いたドーム型の美しい形の十瓶山(とかめやま)があるが、地名のようにこの地方は平安時代に陶窯が盛んだったようで、十瓶山を中心に須恵器や瓦の窯跡がたくさん発見されている。これは陶窯跡群、あるいは十瓶山窯跡群と呼ばれ、四国で最も大きな窯跡群として有名である。すべっと窯跡(県史跡)は、総合運動公園体育館の道を挟んで山側(西側)の谷状になった奥にあるが、この窯跡は奈良時代から平安時代の半地下式無段式登り窯で、小形坏や皿などの須恵器が焼かれた。この陶窯跡群では国衙(こくが)権力の庇護のもと、平安時代を通じて須恵器や瓦生産が行われたが、13世紀頃には国衙の弱体化とともに衰退していった。

 

▼すべっと窯跡-1

 

▼すべっと窯跡-2

 

▼すべっと窯跡-3

 

▼すべっと窯跡-4、すべっと窯跡の頂から見る綾川町総合運動公園

 

 

<歩きメモ>

▼西村城跡へ向かう、左側に綾川町総合運動公園の案内板

 

▼国道32号線(琴平街道)へ向かう-1

 

▼国道32号線(琴平街道)へ向かう-2、反射鏡にマーキング

 

▼国道32号線(琴平街道)へ向かう-3、左下前方に八ツ池と大池

▼左は南部地神社、綾川町全景が見える

 

▼次の交点を右折、川北バス停前を西に進む

 

▼右()に十瓶山、陶保育所前を通過

▼カフェレストGaReen角を左折、国道32号線(琴平街道)へ向かう-4

 

▼国道32号線(琴平街道)へ向かう-5、国道32号線(琴平街道)に合流

 

▼国道32号線(琴平街道)を西南進-1

 

▼県道17号線交点を横断直進、国道32号線(琴平街道)を西南進-2

 

▼右奥に手前から十瓶山・鷲ノ山・蓮光寺山、国道32号線(琴平街道)を西南進-3

 

▼北条池橋を渡る

 

▼国道32号線(琴平街道)を西南進-4、国道32号線(琴平街道)を南に横断

 

▼西村城跡へ進む

 

 

<探訪史跡-2:西村城跡>

西村城は北條池に面した台地の先端に築かれていて、現在は赤天神神社の境内となっている。

単郭の城で神社の境内がそのまま主郭であるが、南側の台地から切り離すために幅10m程もある巨大な空堀を設けている。

柾木城主滝宮豊後守の支城で滝宮城主でもあった滝宮弥十郎が守っていたと伝えられる。

 

▼西村城跡-1:大堀切

 

▼西村城跡-2:赤天神神社1

 

▼西村城跡-3:赤天神神社2

 

▼西村城跡-4:赤天神神社3、赤天神神社前の三角点

 

▼西村城跡-5:赤天神神社4

 

▼西村城跡-6:北条池と的場西方向、西村城跡-7

▼西村城跡-7:北条池橋と西村東方向

 

 

引き続き、Vol.559-4/5をご覧ください。