Vol.548-3/5に続けてご覧ください。
<リャリ走行メモ>
▼王墓山古墳へ向かう、坂道を下る
▼自衛隊丸山宿舎の手前を左折、丸山宿舎沿いに西進
▼丸山宿舎沿いに西進後に交点を左折、四国少年院の正門前を通過
▼四国少年院沿いに南下し交点を右折、左側に四国こどもとおとな医療センターくすの木ヒルズ
▼四国少年院南沿いを西進
▼左奥に大麻山、県道24号線の交点を直進(西南)
▼県道24号線西南に進む、我拝師山の下の方に王墓山古墳の頭
<探訪史跡-4:王墓山古墳>
王墓山古墳は史跡公園として整備されて、古墳の上に登る事も出来て、ここからは五重塔をはじめ市街地が見渡せる。国の指定史跡になっている有岡古墳群の中央部に位置し、6世紀半ばに造られた全長46mの前方後円墳で、横穴式石室を持ち、石室からは須恵器などの土器類、首飾りなどの装飾品、武具・馬具類、大和政権が配下に入った地方豪族に渡したという金銅製冠帽(こんどうせいかんぼう)や銀象嵌(ぎんぞうがん)を施した鉄刀が出土している。
▼墳丘の全容、県道24号線から右折進入
▼説明板、墳丘
▼発掘調査録、石室
▼墳丘から見る善通寺市街、我拝師山・中山・火上山
▼墳丘から見る鶴ケ峰、飯野山
<リャリ走行メモ>
▼宮が尾古墳へ向かう、県道24号線を西南へ進む-1
▼県道24号線を西南へ進む-2、右側に有岡大池の吐水路と奥に我拝師山・中山・火上山
▼有岡大池に寄る、有岡大池-吐水路
有岡大池は、弘田川を通じて善通寺市・多度津町を潤している。「善通寺伽藍并寺領絵図」(国指定重要文化財・善通寺蔵:鎌倉時代末期-1307年作成)には、この池と思われるため池が描かれていて、築造時期は丸亀平野の中でも最古の部類に入る。
▼有岡大池-遊歩道、池面
▼県道24号線に戻り南下、右前方にS電機の本社屋
▼県道24号線を進む
▼御館(みたち)神社に寄る、注連柱と境内
香川県神社誌によると「一説に僧空海の創建と云ふ。・・社伝によれば、當社古くは現鎮座地より南方八町余りの地に鎮座ありて、その当時は有岡、瓦谷、尾崎、大谷、伏見、八丁原、北向籐の産土神にして、伏見の地に御旅所を置きしが、弘仁四年紀伊熊野の大神を迎えて御旅所に祭れり。これ木熊野神社なりと云へり。天正年間長曾我部元親兵を率いて野田の院を攻めし時兵火に罹り社殿旧記等焼失せしを以て、現鎮座地に黒木の社殿を営みて奉齋せしが、慶長五年八月再興せられたり」とある。
▼御館神社-拝殿、社号額
▼御館神社-本殿、境内社
▼宮が尾古墳へ向かう、宮が尾古墳公園に着いた
引き続き、Vol.548-5/5をご覧ください。











































