Vol.545-1/5に続けてご覧ください。
さぬき史跡探訪シリーズ-中讃編:01く仲多度郡多度津町>
仲多度郡多度津町の史跡探訪の主たる狙いは、讃岐鉄道多度津駅趾・家中地区・加茂神社を訪れることである。今回はマイチャリをJRに輪行し、ポタリングで実施した。
<探訪ルートと探訪史跡>ルート総距離:8.5km
▼探訪ルート図
▼讃岐鉄道多度津駅趾、多度津町立資料館
▼家中地区の位置図、加茂神社
<リャリ走行メモ>
▼JR端岡駅からマイチャリを輪行して出発、JR多度津駅で下車
▼モニュメント-少林寺拳法発祥のまち、四国鉄道発祥之地
少林寺拳法は、宗道臣が昭和22(1947)年、多度津町において「人づくり」のための「行」として創始した。日本各地のおよそ2,000の道院では、子供から高齢者まで世代を超えて楽しく修行している。毎年10月には、多度津の本山で禅の開祖である達磨大師を偲ぶ、『だるま祭』が開催されている。
また、JR多度津駅には四国の鉄道発祥100周年を記念して、昭和10年~45年頃まで四国の山野を駆け巡った8620形蒸気機関車の動輪が、建立・保存されている。
▼仲多度郡多度津町-ルート3Ⅾ略図
▼JR多度津駅をスタート、金比羅橋へ向かう
▼多度津交番を通過、県立多度津高校を通過
▼左側の多度津小学校を通過、多度津町役場を通過
▼豊津橋(桜川)を渡る、桜川の上流
▼右側に多門院、多門院の境内
▼左側に摩尼寺、摩尼寺の境内
▼県道213号線と25号線の交点、道標の石碑
▼県道25号線を北上
港町の商業地区は町の中央を流れる桜川の左岸に配置し、川を挟んだ家中地区に武家町を形成している。家並は近代化されながらも、土塀を連ねた武家住宅の名残や、本瓦を載せた薬医門なども幾つか残り、重厚な歴史を秘めた町並であることを感じさせる。
▼極楽橋(桜川)を渡る、桜川の上流
▼桜川沿いに西進
▼桜川沿いに北進、金毘羅大権現上陸の地の石碑
金比羅宮の潮川神事は昔、旧9月8日に多度津須賀町にある金比羅さんのそばの川で、琴平から来てこの川でしていた。今は、琴平町の金山寺町を流れている「祓い川」でするようになっている。
然し、今でも金比羅宮大祭に用いられる海水と、ガラ藻(海藻の一種)は多度津の工屋(タクミヤ)と云う「山神」さんは、海水を小さい樽に入れ、またガラ藻は粟島の「板倉」さんが親代々世襲し、金比羅さんへ持って行くことになっている。
<探訪史跡-1:讃岐鉄道多度津駅趾の周辺>
回船問屋大隅屋五代目の景山甚右衛門が新橋~横浜間を走る汽車を見てそれをヒントに、金毘羅参詣客の輸送に着眼し鉄道の開業を計画、明治22年(1889)に多度津を起点として丸亀・琴平に至る讃岐鉄道㈱を設立した。この鉄道は伊予鉄道㈱より7カ月程遅れたが、四国の鉄道網は讃岐鉄道が根幹となって拡張されたもので、「JR四国」のルーツとなっている。
現在の多度津町民会館駐車場が讃岐鉄道多度津駅趾である。
▼金刀比羅神社-1
桜川が多度津港に注ぐ入口、多度津町民会館向かいに鎮座し、熊手八幡神社例祭の御旅所となる。
▼金刀比羅神社-2
▼金刀比羅神社-3、「時太鼓」の説明板
▼県道216号線(右側-多度津町民会館) 、金比羅橋(桜川-県道216号線)
▼桜川(金比羅橋)の上流、下流
▼多度津町民会館(サクラートたどつ)-全景、駐車場
多度津町制100周年記念事業として平成3年に竣工し、円形劇場を思わせる正面エントランスとホワイエ。質のよい音響、照明、映写機器の設備も整っている。
▼多度津町民会館-四国鉄道発祥之地(讃岐鉄道多度津駅趾)碑
<リャリ走行メモ>
▼西浜・東浜へ向かう(県道216号線を南下)、西浜へ右折(県道215号線へ)
西浜・東浜の区画には街路が所々鍵の手になり、また袋小路が多く残るなど士町独特の町割を呈している。
▼県道215号線を北西へ進む、西浜の街の風景-1
▼西浜の街の風景-2
▼東浜へ向かう(さぬき浜街道を東北進)、北は多度津港と今治造船のクレーン群
▼東浜へ次を左折、左は多度津港乗船場
▼東浜の街の風景-1
▼東浜の街の風景-2
▼左折し県道216号線を東北へ進む、県道216号線を進行-1
▼左に多度津町民会館・右に金刀比羅神社を通過、県道216号線を進行-2
引き続き、Vol.545-3/5をご覧ください。
































































