Vol.544-1/4に続けてご覧ください。
さぬき史跡探訪シリーズ-こんぴら周辺編:02く仲多度郡まんのう町>
仲多度郡まんのう町の史跡探訪の主たる狙いは、二宮忠八翁銅像と丸山城跡を訪ねることである。
今回はマイチャリをJRに輪行し、道の駅までタクシーを利用しポタリングで実施した。
樅ノ木峠から二宮飛行公園の展望台や、JR琴平駅までの沿線に鎮座する寺院・神社へも立ち寄った。
<探訪ルートと探訪史跡>ルート総距離:8.0km(チャリ:6.0km、歩き:2.0km)
▼探訪ルート図
▼二宮飛行神社、道の駅「空の夢もみの木パーク」
▼二宮公園展望台、二宮忠八飛行館
▼丸山城跡
▼JR琴平駅で下車しタクシーにマイチャリと一緒に乗る、道の駅「空の夢もみの木パーク」で下車
<リャリ走行メモ>
▼仲多度郡まんのう町-ルート3Ⅾ略図
▼国道32号線-キロポスト33-高松まで33kmの地点からスタート、民家の奥に三所(さんしょ)神社の屋根
▼国道32号線を北上-1、左折して三所神社へ向かう-1
▼三所神社へ向かう-2
▼三所神社に着いた、三所神社-1
▼三所神社-2
▼三所神社-3
▼二宮飛行公園へ向かう、国道32号線へ戻った
▼樅ノ木(もみのき)峠-1:樅の木地蔵が見える 、樅の木地蔵
樅ノ木峠は琴平山より3.3kmほど南側に位置する竜王山(標高421.8m)の東南部にある鞍部で、金刀比羅宮に至る阿波別街道(金毘羅街道)の峠で、二宮忠八がカラス型飛行器の着想を抱いたゆかりの地とされる。
▼樅ノ木峠-2
▼樅ノ木峠-3、二宮飛行公園が見えてきた
<探訪史跡-1:二宮飛行神社・忠八翁銅像>
忠八の功績は有人飛行機を飛ばすには至らなかったが、ライト兄弟が成功する14年も前に飛行原理に着想していたことや、忠八が研究に費やした時代は日本に電気はなく、動力もままならない時代でもあったにもかかわらず、夢の実現に向けて研究に没頭した人生は、近年「日本の航空機の父」または「飛行機の真の発明者」と称されるようになった。晩年は、自らの考えていた飛行機が現実に世界の空を飛び交うようになったとき、その事故による犠牲者の多さを嘆き、自宅に「飛行神社」を建立し、航空界の安全と航空殉難者の慰霊に一生をそそいだ。忠八は昭和11年、70歳でその人生を終えた。忠八は人生でただ一度だけ飛行機に乗ったことがある。この時、飛行機で飛んだ気持ちは、若いころ毎晩夢で見ていた飛行機に乗る気持ちと全く変わらなかった、と忠八は言ったという。
▼二宮飛行神社へ、二宮飛行神社-1
▼二宮飛行神社-2、二宮忠八翁銅像
▼二宮飛行神社-3:世界最初の飛行原理着想の地の標柱、二宮飛行神社-4
▼二宮飛行神社-5、神社からパーク方向を見る
<探訪-1:道の駅「空の夢もみの木パーク」>
仲多度郡まんのう町にある国道32号の道の駅で、この名称は日本で初めて有人飛行機の開発に取り組んだ二宮忠八が、この付近の樅ノ木峠で飛行原理の着想を得たことに由来する。これを記念し、隣接した地に2006年(平成18年)に開館した「二宮忠八飛行館」がある。
▼仲南特産品センター、農村レストラン-仲南産直市
▼道の駅空の夢もみの木パーク-1
▼道の駅空の夢もみの木パーク-2
<探訪-2:二宮公園展望台>
道の駅「空の夢もみの木パーク」から片道約1kmの道程の標高248mの位置にある展望台である。
国道32号線を挟んで竜王展望休憩所があり、ふるさと健康のみちとして、ジョギングコースにもなっている。
▼二宮公園展望台へ向かう-1(片道約1kmの道程)
▼二宮公園展望台へ向かう-2、廃棄物最終処理分場
▼二宮公園展望台へ向かう-3
▼二宮公園展望台へ向かう-4
▼二宮公園展望台へ向かう-5
▼二宮公園展望台へ向かう-6
▼二宮公園展望台へ向かう-7
▼展望台からの眺望-北方向、東方向(全く見えない)
▼展望台からの眺望-南方向、西方向(全く見えない)
引き続き、Vol.544-3/4をご覧ください。