Vol.536-1/3に続けてご覧ください。
今報から「さぬき史跡探訪シリーズ」をスタートします。
香川県の史跡探訪の手引書として「歴史散歩」が1975年に初刊、1996年に新版が刊行され、そして平成の市町村合併後の2013年に今日的な「歴史散歩」に全面的に改訂刊行された。
それに紹介されている史跡を当akijiiブログに掲載(現地訪問)していない箇所をピックアップして、今シリーズでその補完をしたいと計画しました。
香川県下を、1:東讃(東かがわ市・さぬき市・三木町)、2:こんぴら周辺(琴平町・まんのう町)、3:中讃(丸亀市・善通寺市・多度津町)、4:西讃(観音寺市・三豊市)、5:瀬戸大橋の入口(坂出市・宇多津町・綾川町)、6:県都(高松市) の6ブロック(島嶼部は除く)に分けて48回渡り探訪します。
4~5年後には「2013年版歴史散歩」に順じた「さぬき歴史(観て歩き)フォトレポ」が当ブログに掲載(180報)できればなぁ~と夢を見ています。長い期間となりますが、お付き合いよろしくお願いします。
それでは「東讃編01:東かがわ市湊」からスタートします。
さぬき史跡探訪シリーズ-東讃編:01く東かがわ市湊>
東かがわ市湊の史跡探訪の主たる目的は、讃岐三白の1つである砂糖の製法を確立した、向山周慶(むこうやましゅうけい)と関良助(せきりょうすけ)を祀っている向良神社と、旧大内郡を代表する古代寺院跡の白鳥廃寺跡を訪れることである。
<探訪ルートと探訪史跡>ルート総歩数9,600
▼探訪ルート図、向良(こうら)神社
▼白鳥廃寺跡、高松廃寺(高松寺跡)
<歩きメモ>
▼JR端岡駅からスタート(予讃線)、高松駅で高徳線へ乗り換え
▼JR三本松駅で下車
▼東かがわ市湊-ルート3Ⅾ略図
▼JR三本松駅からルートスタート、国道11号線へ向かう-1
▼国道11号線へ向かう-2、国道11号線に到達
▼神武天皇社へ寄る
▼国道11号線を東東進-1(三越三本松)、(三本松高校→)
▼右測奥に三本松高校、国道11号線を東東進-2(大井戸)
▼国道11号線を東東進-3(徳島へ42kmのキロポスト)、(東かがわ警察署)
▼国道11号線を東東進-4(左方向が三本松港) 、(湊バス停が見えてきた)
<探訪史跡-1:向山周慶翁生誕地の石柱>
▼湊バス停と「向山周慶翁生誕地」の石柱
<歩きメモ>
▼向良神社へ向かう-1
▼向良神社へ向かう-2(右方向へ) 、左前方は国道11号線の湊大橋の手前
▼向良神社へ向かう-3、向良神社が見えてきた
<探訪史跡-2:向良神社>
向山周慶は、讃岐国大内郡湊村(東かがわ市湊)で庄屋・向山政永の三男に生まれ、高松藩医・池田玄丈について医術を学んでいた頃、第5代高松藩主・松平頼恭は砂糖生産に注目し、玄丈に研究を命じていた。16歳で周慶は玄丈から砂糖精製の研究を託され、以後30年間にも及ぶ苦難の歳月を経て、寛政2年(1790)年に始めて白砂糖の精製に成功した。享和3年(1803)白砂糖の製法を確立し、大坂で讃岐の和三盆糖として名声を高め、「讃岐糖業の父」と称される。
この成功の陰には、周慶が危難を救った医学生や四国巡礼の途中で病を救った薩摩の関良助という人物の存在があった。医学修業のため京都に滞在していた周慶は、薩摩の医学生と親しくなり、彼が後に火災に遭って困っていたとき、物資を送って助けた。当時の薩摩は、砂糖精製の先進地で、精糖技術を他藩に漏らすことを禁じられていたが、その医学生は周慶に救われたことを感謝し、精糖技術を教えたという。関良助も周慶がサトウキビの苗を探しているのを知り、命を救われた恩返しとして、薩摩から届けたのである。
彼ら協力援助によって周慶の砂糖製造が成ったと伝えられているのである。
向山周慶と関良助の双方の名をとり、この二人をまつった向良神社が周慶生家近くと高松市松島町二丁目に、また関良助の墓が白鳥町湊の周慶生家近くの地蔵堂のところに建てられ、これらが二人の義挙をたたえた当時の数少ないしるしとして残されている。
▼向良神社-1
▼向良神社-2
<歩きメモ>
▼白鳥廃寺跡へ向かう-1、(国道11号線バイパス交差点)
▼国道11号線バイパス交差点の右方向(西)、左方向(東)
▼白鳥廃寺跡へ向かう-2(正面の町営山下団地前を右折)
▼左側(南)に町営山下団地、白鳥廃寺跡の説明版が見えた
引き続き、Vol.536-3/3をご覧ください。